2012年01月23日
第13話:老人孤独死を救った幻
今日の日曜日、久しぶりに山下医院の近くにある
ST病院に見舞いに行ってきました。
6階の病棟に入院しているMさん女性86歳。
左膝が痛くて歩けないとの事。
でもお元気な顔を見て、少し安心しました。
もちろん膝は治しました。
でも歩行禁止で歩行許可降りずですか......
まあ、あの日の事を思えば、まだマシか。
あの日よりは.........
2ヶ月前の11月中旬。
86歳女性一人暮らしのMさんは15年以上、
山下医院に通院してくださっていました。
時々(しばしば...かも)2時間待たされる事があっても、
いつも彼女は時間通りに、待合室に座っていました。
いつも同じ席に。
少しうつむいて、いつもじっと待って居て下さっていました。
その姿は、僕の目にも焼き付いていました。
血圧が高い、心臓が悪い、腎臓が悪い、甲状腺が悪い、リウマチで膝が痛い。
両脚がむくんで歩きにくい。
もう歩けなくなるか.......その度に頑張って押し戻す。
私達は、いつもギリギリの闘いをしていました。
しかし寄る年波には勝てません。
84歳が、お年寄りの生命力の曲がり角だと感じています、経験上。
しかしMさんは84歳を過ぎても、生活能力の変化は有りませんでした。
まだ行けるな、そう感じていました。
しかし86歳になられ、一人暮らしでもあり、少し心配になってきました。
「お食事はご自分で作られておられるんですか?」
『はい』
「介護保険をお使いになられた方が良いと思いますよ。」
『いいえ、私は人様にご迷惑をお掛けしたく無いんです。
汚いお部屋をお見せするのも、お恥ずかしいですし。
御免なさい、お断りしますね。
でも先生、お気遣い頂いて、有り難うございます。』
「でもね、ご飯、作れてます? 買い物、行けてます?」
『ええ、今は何とか。』
「お弁当、宅配してくれる所、念のために紹介しておきますね。」
『はい、有り難うございます。』
そんなやりとりを昨年夏頃から、頻繁にする様になっていました。
そして11月になりました。
いつも水曜日の午後の診察が多かったのですが、
その日は火曜日の予約でした。
いつもピッタリ時間通りにいらっしゃるMさんが、
姿を見せてくれませんでした。
「あれっ?」とは思っていました。
2時間も過ぎたので、念のためにスタッフに電話する様に伝えました。
やっぱり電話にはお出にならないとの事。
『いつも水曜日ですから、明日勘違いして来られると思いますよ。』
スタッフはそう言いましたが、何となくイヤな予感が頭をよぎりました。
しかしそれを無理矢理振り払って、
「明日の朝も、電話して。」と指示しました。
しかし本当は自分のイヤな予感や胸騒ぎを信じて、
その夜の内に行ってあげるべきだった。
”宇宙人”の山下先生なら。
昔、ヨメさんとケンカた夜、
僕が風呂に入っている内に、ヨメさんが家を飛び出して居なくなった時さえ、
けっこう遠くにある深夜営業のファミレスに居る事をカンで一発で探り当て、
一人で座っているヨメさんの席の向かいにスッと座って、
「オホン。.......僕が悪かったよ! ゴメンね。さあ、一緒に帰ろう。」
と、トレンディドラマの場面みたいな事をやってのけた僕なのに、
ちょっとヤキが回っていました。
翌日の水曜日、やはりMさんはいつもの時間に来ませんでした。
平気でドンドン次の患者さんを呼び入れるスタッフを制して、
「おかしい。 おい、ちょっと待って!」
こんな時、私は目をつぶって眉間に右の中指を当てます。
(どうしてそれをするのかは、いつか書くとして)
するとMさんの部屋の中が見えます。
...........部屋の中に居る!
こういう事は絶対外れない。
しかもその瞬間、診察室にスーッと、変な風が舞いました。
ふと目を開けると、診察室の入り口方面から、
Mさんが入ってきて、お辞儀する幻が見えました。
この風を”千の風”と呼ぶのでしょうか。
Mさんは自分が死ぬとわかって、その覚悟をして、
僕の所に挨拶に来た。
「Mさんに電話して!今すぐ!」スタッフに指示。
『電話、お出になりません。』と言う返事。
「甥ごさんの家に電話して!」
『甥ごさんの奥さんがお出になりました。
交流も無いし、あまり関わりたく無いそうです。』
「生きるか死ぬかやで!すぐ近所やんか!もういっぺん電話せえ!」
『電話しましたが、死のうが生きようが、関係無いそうです。』
いっぺん殺したろか、このアホヨメめ! と思いました。
それから夜9時に仕事が終わる迄の6時間の長かった事。
さあ仕事を終えて、カルテの住所を控えて、Mさんの家を探しました。
クルマに飛び乗ったのは良いが、
「あッ! カーナビが壊れてたんだっけ。」
道路地図を見ながら、近所のコンビニの駐車場にクルマを停めて。
あとは郵便屋さんみたいに、歩いて探しました。
やっとMさんのマンション(アパート)を探し当てました。
1階の102号室。
電気がついてました。 「生きてる!」
そう思いましたが、郵便受けを見ると、一週間分以上、新聞がつっこまれてる。
ドンドンドン! ドアを叩きまくって、
「Mさーん!いらっしゃいますかあ、山下ですう!」
Mさんは出ず、近所の人達が一斉に出てきました。
............ジロジロ見られて。
何十分ドアを叩きまくっても、Mさんは出てきませんでした。
このアパート、管理人は居ないそうで。
途方に暮れて、ベランダ側に回って、ガラスを叩き割ろうと思っていたその時、
ガシャッ! と、戸の鍵が開きました。
寝たきりだったMさんが、
最後の力を振り絞って這って玄関まで来て、
四つばいで手を伸ばして、ロックを外したのでした。
「もう大丈夫! Mさん、もう大丈夫だからね。」
部屋に入ってわかりました。
Mさんはもう、一週間以上、ご飯を食べていない。
お尻も濡れている。 トイレにも行けてない。
皮膚をつまんだら、すぐ元には戻らない。
脱水! 水さえまともに飲めていない。
「これは危険だ!」
しかし救急車を呼ぶほど危険ではなかったので、
一番近い親族を聞きました。
姪がいるそうなので、すぐ電話しました。
さっきの甥のバカヨメと違い、その人はマトモな人でした。
すぐに駆けつけてくれるそうなので、
その間に、入院先を探しました。
すぐ近所にST病院があり、退院後の養老院も持っている。
電話したら、すぐに受け入れてくれるとの事。
支えると、まだMさんは何とか外のクルマまで行けました。
姪ごさんが来られてすぐに、
一緒に私のクルマに乗せて(オシリが濡れてるけど、良いの!)、
ST病院に行きました。
病棟に運んですぐ、私は山下医院に帰って、
カルテを見ながら急いで診療情報提供書を書いて、
すぐに病棟に届けました。
帰ったら2時近かったですが、ホッとした安心感からか、
すぐに倒れるように寝てしまいました。
あれから2ヶ月。
久しぶりにベッドで治療をしてあげている時、
『本当に....本当に有り難うございます。』と泣くMさん。
「Mさん、家で動けなくなった頃、死ぬと思ったでしょう。」
『.......はい。』
「その時、山下医院に、僕に別れのあいさつに来たでしょう。心で。」
『はい。.......先生。........わかってはったんですか?』
「勿論わかりましたよ。 だから助けに来たんです、あの晩。」
『先生は神様ですから。
ひょっとしたらとは思ってました。
本当に有り難うございます。』
「ただのオッサンですよ!」
こんな人を僕は絶対に死なせてなるものか。
治療後、一度立たせてみて、介助歩行をさせてみたかったけれど、
『歩行禁止指示中ですので』と、元主治医でも、許可はされませんでした。
まあ病院側の立場からすれば当然と言えば当然ですが。
しかし、老人は寝かせれば寝かせるほど、
二度と立てなくなっていくのですが。
(私の父は歩行訓練許可が降りたので、
私が歩行訓練を続け、今は普通に歩けますが。)
医療と言う責任有る業務の複雑さと、
もう一度立たせてあげたいと言う残念さを背に、
山下医院からそう遠くないST病院を後にしました。
さあ、明日も僕を必要としてくれている人が居る限り、
僕に出来ることが有る限り、
僕の命が有る限り、
この仕事を続けたい。
........しかし、地球と言う患者の悲鳴も聞こえる。
ST病院に見舞いに行ってきました。
6階の病棟に入院しているMさん女性86歳。
左膝が痛くて歩けないとの事。
でもお元気な顔を見て、少し安心しました。
もちろん膝は治しました。
でも歩行禁止で歩行許可降りずですか......
まあ、あの日の事を思えば、まだマシか。
あの日よりは.........
2ヶ月前の11月中旬。
86歳女性一人暮らしのMさんは15年以上、
山下医院に通院してくださっていました。
時々(しばしば...かも)2時間待たされる事があっても、
いつも彼女は時間通りに、待合室に座っていました。
いつも同じ席に。
少しうつむいて、いつもじっと待って居て下さっていました。
その姿は、僕の目にも焼き付いていました。
血圧が高い、心臓が悪い、腎臓が悪い、甲状腺が悪い、リウマチで膝が痛い。
両脚がむくんで歩きにくい。
もう歩けなくなるか.......その度に頑張って押し戻す。
私達は、いつもギリギリの闘いをしていました。
しかし寄る年波には勝てません。
84歳が、お年寄りの生命力の曲がり角だと感じています、経験上。
しかしMさんは84歳を過ぎても、生活能力の変化は有りませんでした。
まだ行けるな、そう感じていました。
しかし86歳になられ、一人暮らしでもあり、少し心配になってきました。
「お食事はご自分で作られておられるんですか?」
『はい』
「介護保険をお使いになられた方が良いと思いますよ。」
『いいえ、私は人様にご迷惑をお掛けしたく無いんです。
汚いお部屋をお見せするのも、お恥ずかしいですし。
御免なさい、お断りしますね。
でも先生、お気遣い頂いて、有り難うございます。』
「でもね、ご飯、作れてます? 買い物、行けてます?」
『ええ、今は何とか。』
「お弁当、宅配してくれる所、念のために紹介しておきますね。」
『はい、有り難うございます。』
そんなやりとりを昨年夏頃から、頻繁にする様になっていました。
そして11月になりました。
いつも水曜日の午後の診察が多かったのですが、
その日は火曜日の予約でした。
いつもピッタリ時間通りにいらっしゃるMさんが、
姿を見せてくれませんでした。
「あれっ?」とは思っていました。
2時間も過ぎたので、念のためにスタッフに電話する様に伝えました。
やっぱり電話にはお出にならないとの事。
『いつも水曜日ですから、明日勘違いして来られると思いますよ。』
スタッフはそう言いましたが、何となくイヤな予感が頭をよぎりました。
しかしそれを無理矢理振り払って、
「明日の朝も、電話して。」と指示しました。
しかし本当は自分のイヤな予感や胸騒ぎを信じて、
その夜の内に行ってあげるべきだった。
”宇宙人”の山下先生なら。
昔、ヨメさんとケンカた夜、
僕が風呂に入っている内に、ヨメさんが家を飛び出して居なくなった時さえ、
けっこう遠くにある深夜営業のファミレスに居る事をカンで一発で探り当て、
一人で座っているヨメさんの席の向かいにスッと座って、
「オホン。.......僕が悪かったよ! ゴメンね。さあ、一緒に帰ろう。」
と、トレンディドラマの場面みたいな事をやってのけた僕なのに、
ちょっとヤキが回っていました。
翌日の水曜日、やはりMさんはいつもの時間に来ませんでした。
平気でドンドン次の患者さんを呼び入れるスタッフを制して、
「おかしい。 おい、ちょっと待って!」
こんな時、私は目をつぶって眉間に右の中指を当てます。
(どうしてそれをするのかは、いつか書くとして)
するとMさんの部屋の中が見えます。
...........部屋の中に居る!
こういう事は絶対外れない。
しかもその瞬間、診察室にスーッと、変な風が舞いました。
ふと目を開けると、診察室の入り口方面から、
Mさんが入ってきて、お辞儀する幻が見えました。
この風を”千の風”と呼ぶのでしょうか。
Mさんは自分が死ぬとわかって、その覚悟をして、
僕の所に挨拶に来た。
「Mさんに電話して!今すぐ!」スタッフに指示。
『電話、お出になりません。』と言う返事。
「甥ごさんの家に電話して!」
『甥ごさんの奥さんがお出になりました。
交流も無いし、あまり関わりたく無いそうです。』
「生きるか死ぬかやで!すぐ近所やんか!もういっぺん電話せえ!」
『電話しましたが、死のうが生きようが、関係無いそうです。』
いっぺん殺したろか、このアホヨメめ! と思いました。
それから夜9時に仕事が終わる迄の6時間の長かった事。
さあ仕事を終えて、カルテの住所を控えて、Mさんの家を探しました。
クルマに飛び乗ったのは良いが、
「あッ! カーナビが壊れてたんだっけ。」
道路地図を見ながら、近所のコンビニの駐車場にクルマを停めて。
あとは郵便屋さんみたいに、歩いて探しました。
やっとMさんのマンション(アパート)を探し当てました。
1階の102号室。
電気がついてました。 「生きてる!」
そう思いましたが、郵便受けを見ると、一週間分以上、新聞がつっこまれてる。
ドンドンドン! ドアを叩きまくって、
「Mさーん!いらっしゃいますかあ、山下ですう!」
Mさんは出ず、近所の人達が一斉に出てきました。
............ジロジロ見られて。
何十分ドアを叩きまくっても、Mさんは出てきませんでした。
このアパート、管理人は居ないそうで。
途方に暮れて、ベランダ側に回って、ガラスを叩き割ろうと思っていたその時、
ガシャッ! と、戸の鍵が開きました。
寝たきりだったMさんが、
最後の力を振り絞って這って玄関まで来て、
四つばいで手を伸ばして、ロックを外したのでした。
「もう大丈夫! Mさん、もう大丈夫だからね。」
部屋に入ってわかりました。
Mさんはもう、一週間以上、ご飯を食べていない。
お尻も濡れている。 トイレにも行けてない。
皮膚をつまんだら、すぐ元には戻らない。
脱水! 水さえまともに飲めていない。
「これは危険だ!」
しかし救急車を呼ぶほど危険ではなかったので、
一番近い親族を聞きました。
姪がいるそうなので、すぐ電話しました。
さっきの甥のバカヨメと違い、その人はマトモな人でした。
すぐに駆けつけてくれるそうなので、
その間に、入院先を探しました。
すぐ近所にST病院があり、退院後の養老院も持っている。
電話したら、すぐに受け入れてくれるとの事。
支えると、まだMさんは何とか外のクルマまで行けました。
姪ごさんが来られてすぐに、
一緒に私のクルマに乗せて(オシリが濡れてるけど、良いの!)、
ST病院に行きました。
病棟に運んですぐ、私は山下医院に帰って、
カルテを見ながら急いで診療情報提供書を書いて、
すぐに病棟に届けました。
帰ったら2時近かったですが、ホッとした安心感からか、
すぐに倒れるように寝てしまいました。
あれから2ヶ月。
久しぶりにベッドで治療をしてあげている時、
『本当に....本当に有り難うございます。』と泣くMさん。
「Mさん、家で動けなくなった頃、死ぬと思ったでしょう。」
『.......はい。』
「その時、山下医院に、僕に別れのあいさつに来たでしょう。心で。」
『はい。.......先生。........わかってはったんですか?』
「勿論わかりましたよ。 だから助けに来たんです、あの晩。」
『先生は神様ですから。
ひょっとしたらとは思ってました。
本当に有り難うございます。』
「ただのオッサンですよ!」
こんな人を僕は絶対に死なせてなるものか。
治療後、一度立たせてみて、介助歩行をさせてみたかったけれど、
『歩行禁止指示中ですので』と、元主治医でも、許可はされませんでした。
まあ病院側の立場からすれば当然と言えば当然ですが。
しかし、老人は寝かせれば寝かせるほど、
二度と立てなくなっていくのですが。
(私の父は歩行訓練許可が降りたので、
私が歩行訓練を続け、今は普通に歩けますが。)
医療と言う責任有る業務の複雑さと、
もう一度立たせてあげたいと言う残念さを背に、
山下医院からそう遠くないST病院を後にしました。
さあ、明日も僕を必要としてくれている人が居る限り、
僕に出来ることが有る限り、
僕の命が有る限り、
この仕事を続けたい。
........しかし、地球と言う患者の悲鳴も聞こえる。
2011年11月09日
第12話:蘇ったロッククライマーとミラーニューロン
通院が始まってもう半年以上経つでしょうか。
元気に毎週、治療に来られている64歳の男性、Kさん。
実は初診の時は、悲惨でしたし悲壮な表情でした。
フリークライミング(岩登り、ロッククライミングの一種)で転落して、
頸部脊髄損傷して、首から下が麻痺した患者さんでした。
もちろん頭部も、その他全身を強打されていました。
左半身麻痺で、歩くのがやっと、左手の握力はほとんど有りませんでした。
普段の生活も、仕事もままならない状態でした。
しかし、頸部脊髄の完全(100%)損傷では無かったので、
ある程度回復させる自信は有りました。
まず普通に生活出来るようにする治療とリハビリの相談からが常識ですが、
この人は違いました。
「先生、私はどうしても、もう一度岩に登りたいんです。
死んでも良いですから、登れる様にして下さい!」
『いや、そんな事よりも、まず左手と左足が動かせる様になるための、
治療をしてリハビリをしましょう。
まず当たり前の事が出来るようになってからなら、
いくらでもクライミングしても良いですよ。』と答えました。
「えっ?登れる様になるんですか?」
『あなたが僕を信じて、そして自分を信じて、
ちゃんと治療を受けてくれて、
僕が指示した通りのリハビリを受けてくれたら、
きっと最良の結果は得られるでしょう。
どこまで出来る様になるかは、今は断言できませんが。』
「元通りに登れる様になるんですね?」
『いや、それはわかりません。』
「どこの医者も、あんたはもう二度と普通の生活は出来ん、
仕事もクライミングも出来んと言います。
私はもう、そんなアカン奴で一生終わるんですか?」
『いや、そんなことはありません。信じてくれればきっと治りますよ。』
それから数日後、再びその人が来て
「先生の言った言葉を近くの医者と、大病院の医者に言ったら、
あんたが治ることは医学的にあり得ないと言われました。
山下先生が治ると言ったと言ったら、医学的にそれはあり得ない、
そんな馬鹿な医者が居るのか、そいつは医者かと笑われました。」
そこまで言われたら私も引き下がるわけにはいかない。
『それ言った医者、誰?』
「東豊中のHクリニック。」
私も東豊中なので、桃山台行きのバスの窓から見た事があります。
私の尊厳はともかく、
まずこの人を普通に動ける様にしてあげましょう、それが先決。
そのためには、目標を通常の動きに向けるので無く、
この人の生き甲斐であるクライミングに向けなければならない。
『よし、登れる様にしてあげましょう。でも、死ぬかもしれないよ。』
「いえいえ、登れる様になったら本望です。死んでも後悔なんかしませんよ。
いっぺんでも良いから、登らせて下さいよ。」
『わかりました、登らせて見せますとも。
但し指示通りに通院して、毎日指示通りにリハビリして下さい。』
それから意地をかけた二人の挑戦が始まりました。
頸部の治療と手足の手技療法による治療は当然のこと、
骨盤と頭蓋骨の治療も行いました。
そして、新たに工夫して編み出した、
脳のミラーニューロンの治療もしました!!
ミラーニューロンとは最近発見された脳神経の回路で、
見た物を模倣する(マネる)脳の機能です。
これを治療するテクニックは世界中どこにも確立されていませんが、
この研究と治療は、頭蓋骨調整法の第一人者である我が師匠、
名古屋の熊本接骨院院長、東誠之先生にヒントを頂きました。
そして毎日、右手と左手を見ながら、
交互にグーとパーをするリハビリ(クロスクロールと言うテクニックの応用)
をさせました。
もちろん最初は、左手は思うように動きません。
しかし右手の動きのマネが出来るようになって、
ついに自由に左手が動くようになったのです!
握力が、まだ右手の3分の2程ですが、
確かに動きます。
足も同じようなリハビリを指示していたので、
脚もつま先も元通りに動くようになりました。
『さあ、Kさん。初級だけれど、許可するから、登ってきてごらん!』
「えっ?良いんですか?」
『俺が許す、行っといで。』
「わっかりましたあ!」
彼はすっ飛んで行きました。
数日後、涙ながらにこう言われました。
「先生......ありがとう、ありがとうございました。
.........登れました、登れたんですよう!」
『良かったね。........本当に良かった。』
...........ここまでで終われば、かっこいい涙の美談なのですが、
最近、欲が出てきて、
「先生、今は上級の下まで行けるようになったんですが、
完全に元通りの、上級の上まで登れる様になりたいんです。
昔みたいに、みんなとは力量の差をまざまざと見せつけてやる様な、
そんなレベルまで回復したいんですわ。
できますよねえ?」
タジタジになりながら、
ああ人間の欲望とは、終わりが無いものなのだなあ..........
と思う今日この頃であった。
彼が、クライミングの仲間の医者(複数、外人もあり)に
見せた体験談を掲載します。
読んであげて下さい。
ちなみにそのH先生は、未だに彼の回復を、
「医学的にあり得ない、何かの間違い。」と、認めないそうな。
事実は、事実なんだよ!
治らないのと、治せないのは違うよ。
治そうとしない者は、僕は医者と認めない。
たとえ日本国の医師免許を持っていてもね。

訳
私の様な(頸随損傷)患者に対して、
どこの医師もクライミングが可能になるかと言う事に関しては
否定的な診断しかしてくれませんでした。
事故で、もう手を動かす神経が壊れているのだから、もうダメなのだと。
しかしたった一人の医師だけが、この不可能を克服する勇気を私にくれたのです。
何度も治療と、指示されたリハビリを行った結果、
私はついに手を動かせる様になり、握力も回復してきました。
そして私は元通りの日常生活を取り戻すことが出来、
さらにクライミングも出来るようになりました。
その先生のおっしゃるには、
切れてしまった神経を通り越して、
脳の予備の細胞を動員して、それに新しい動きをインプットして、
手の先まで脳の命令が届くように治療してくださったそうです。
その先生は多くの難病患者さん達から信頼されていて、
クリニックはいつも満員で、
私は治療の順番が来るまでしばしば3時間待つ事もあります。
これは事実ですが、車いすの人が、
この医師の治療で歩ける様にもなっています。
彼はいつも患者さん達にこう言うのです。
『絶対に治るんだと信じなさい。
その前向きの心が、一番良い結果をもたらしますから。』と。
PS.3時間は無いと思うなあ。
2時間は待たせたことが(しょっちゅう)有るけど。
元気に毎週、治療に来られている64歳の男性、Kさん。
実は初診の時は、悲惨でしたし悲壮な表情でした。
フリークライミング(岩登り、ロッククライミングの一種)で転落して、
頸部脊髄損傷して、首から下が麻痺した患者さんでした。
もちろん頭部も、その他全身を強打されていました。
左半身麻痺で、歩くのがやっと、左手の握力はほとんど有りませんでした。
普段の生活も、仕事もままならない状態でした。
しかし、頸部脊髄の完全(100%)損傷では無かったので、
ある程度回復させる自信は有りました。
まず普通に生活出来るようにする治療とリハビリの相談からが常識ですが、
この人は違いました。
「先生、私はどうしても、もう一度岩に登りたいんです。
死んでも良いですから、登れる様にして下さい!」
『いや、そんな事よりも、まず左手と左足が動かせる様になるための、
治療をしてリハビリをしましょう。
まず当たり前の事が出来るようになってからなら、
いくらでもクライミングしても良いですよ。』と答えました。
「えっ?登れる様になるんですか?」
『あなたが僕を信じて、そして自分を信じて、
ちゃんと治療を受けてくれて、
僕が指示した通りのリハビリを受けてくれたら、
きっと最良の結果は得られるでしょう。
どこまで出来る様になるかは、今は断言できませんが。』
「元通りに登れる様になるんですね?」
『いや、それはわかりません。』
「どこの医者も、あんたはもう二度と普通の生活は出来ん、
仕事もクライミングも出来んと言います。
私はもう、そんなアカン奴で一生終わるんですか?」
『いや、そんなことはありません。信じてくれればきっと治りますよ。』
それから数日後、再びその人が来て
「先生の言った言葉を近くの医者と、大病院の医者に言ったら、
あんたが治ることは医学的にあり得ないと言われました。
山下先生が治ると言ったと言ったら、医学的にそれはあり得ない、
そんな馬鹿な医者が居るのか、そいつは医者かと笑われました。」
そこまで言われたら私も引き下がるわけにはいかない。
『それ言った医者、誰?』
「東豊中のHクリニック。」
私も東豊中なので、桃山台行きのバスの窓から見た事があります。
私の尊厳はともかく、
まずこの人を普通に動ける様にしてあげましょう、それが先決。
そのためには、目標を通常の動きに向けるので無く、
この人の生き甲斐であるクライミングに向けなければならない。
『よし、登れる様にしてあげましょう。でも、死ぬかもしれないよ。』
「いえいえ、登れる様になったら本望です。死んでも後悔なんかしませんよ。
いっぺんでも良いから、登らせて下さいよ。」
『わかりました、登らせて見せますとも。
但し指示通りに通院して、毎日指示通りにリハビリして下さい。』
それから意地をかけた二人の挑戦が始まりました。
頸部の治療と手足の手技療法による治療は当然のこと、
骨盤と頭蓋骨の治療も行いました。
そして、新たに工夫して編み出した、
脳のミラーニューロンの治療もしました!!
ミラーニューロンとは最近発見された脳神経の回路で、
見た物を模倣する(マネる)脳の機能です。
これを治療するテクニックは世界中どこにも確立されていませんが、
この研究と治療は、頭蓋骨調整法の第一人者である我が師匠、
名古屋の熊本接骨院院長、東誠之先生にヒントを頂きました。
そして毎日、右手と左手を見ながら、
交互にグーとパーをするリハビリ(クロスクロールと言うテクニックの応用)
をさせました。
もちろん最初は、左手は思うように動きません。
しかし右手の動きのマネが出来るようになって、
ついに自由に左手が動くようになったのです!
握力が、まだ右手の3分の2程ですが、
確かに動きます。
足も同じようなリハビリを指示していたので、
脚もつま先も元通りに動くようになりました。
『さあ、Kさん。初級だけれど、許可するから、登ってきてごらん!』
「えっ?良いんですか?」
『俺が許す、行っといで。』
「わっかりましたあ!」
彼はすっ飛んで行きました。
数日後、涙ながらにこう言われました。
「先生......ありがとう、ありがとうございました。
.........登れました、登れたんですよう!」
『良かったね。........本当に良かった。』
...........ここまでで終われば、かっこいい涙の美談なのですが、
最近、欲が出てきて、
「先生、今は上級の下まで行けるようになったんですが、
完全に元通りの、上級の上まで登れる様になりたいんです。
昔みたいに、みんなとは力量の差をまざまざと見せつけてやる様な、
そんなレベルまで回復したいんですわ。
できますよねえ?」
タジタジになりながら、
ああ人間の欲望とは、終わりが無いものなのだなあ..........
と思う今日この頃であった。
彼が、クライミングの仲間の医者(複数、外人もあり)に
見せた体験談を掲載します。
読んであげて下さい。
ちなみにそのH先生は、未だに彼の回復を、
「医学的にあり得ない、何かの間違い。」と、認めないそうな。
事実は、事実なんだよ!
治らないのと、治せないのは違うよ。
治そうとしない者は、僕は医者と認めない。
たとえ日本国の医師免許を持っていてもね。

訳
私の様な(頸随損傷)患者に対して、
どこの医師もクライミングが可能になるかと言う事に関しては
否定的な診断しかしてくれませんでした。
事故で、もう手を動かす神経が壊れているのだから、もうダメなのだと。
しかしたった一人の医師だけが、この不可能を克服する勇気を私にくれたのです。
何度も治療と、指示されたリハビリを行った結果、
私はついに手を動かせる様になり、握力も回復してきました。
そして私は元通りの日常生活を取り戻すことが出来、
さらにクライミングも出来るようになりました。
その先生のおっしゃるには、
切れてしまった神経を通り越して、
脳の予備の細胞を動員して、それに新しい動きをインプットして、
手の先まで脳の命令が届くように治療してくださったそうです。
その先生は多くの難病患者さん達から信頼されていて、
クリニックはいつも満員で、
私は治療の順番が来るまでしばしば3時間待つ事もあります。
これは事実ですが、車いすの人が、
この医師の治療で歩ける様にもなっています。
彼はいつも患者さん達にこう言うのです。
『絶対に治るんだと信じなさい。
その前向きの心が、一番良い結果をもたらしますから。』と。
PS.3時間は無いと思うなあ。
2時間は待たせたことが(しょっちゅう)有るけど。
2011年09月26日
第11話:虫の息の虫を治した愛の気功
このブログでいろんな人を治してきましたが、今度の患者さんは何と、虫です。
去年の暮れ、87歳まで現役で歯科医師をしていた九州の父が突然、右脳梗塞で倒れました。
忘年会で飲んでいた夜突然、妹夫婦と救急病院の医師から電話が掛かってきました。
出血誘発の危険を覚悟で、血栓融解剤を使うかと言う質問。
かえって危険は有りますが、ためらっていては現状を打破できない。
数時間以内に開始しないと無効。
ここは決断の時。
「僕の責任で、すぐに始めて下さい。」
翌週すぐに福岡県大牟田市の市立病院に入院中の父の元へ。
一命はとりとめていましたが、もちろん倒れてから5日間一度も歩行しておらず。
左半身の麻痺が有りました。
早速、頭蓋骨調整法をはじめオステオパシー、SOT(仙骨後頭骨テクニック)など、
全ての臨床経験を集大成し、自分の持てる限りのテクニックを使って、
父を治しました。
一週間、つきっきりで治しました。
二日目には起立歩行出来るようになった父は、
5日目には左片麻痺は完璧に消滅していました。
病院のスタッフが驚くのを尻目に、当然の表情で帰阪しました。
しかしまだ、この市立病院のスタッフや主治医は、
私の治療への理解も有りました。
さすがにもう現役続行は不可能なので、大阪の私の元へ連れてくる事になりました。
急性期を脱したので、他の病院に一旦転院しました。
そこで3週間入院していた間に全身状態は急転直下。
車いすで大阪の私の自宅に運ばれてきたときは、歩行困難どころか意識朦朧。
おまけにその夜、肛門から大出血。
あと一日連れてくるのが遅かったら、何も出来ずに父は死んでいたでしょう。
はっきり言って、2番目の病院の管理体制に腹が立ちます。
いいかげんな事しやがって!
脱水、低血糖、栄養不良、検査管理怠慢。
この時、父が死んでいたら、私はためらわずこの病院の名前をここに公表したでしょう。
ほんっとにいい加減な病院と医者め。
吹田市の千里済生会病院に、その夜のうちに緊急入院。
3番目の病院のここは、本当に良い病院でした。
医者の私が言うんだから間違いありません。
出血は肛門付近の潰瘍からでした。
しかしそれとは全く別に、その少し上に大腸癌が偶然見つかりました。
この緊急内視鏡のために早期発見されたのですから、
何が幸いするかわかりません。
腹腔鏡手術で早期大腸癌が完全に摘出されました。
外科の太田先生、誠実で腕も立つ優秀な先生でした。
ところで出血の原因の直腸潰瘍は、
不整脈の薬、シベノールをやめたらアッサリ治ってしまいました。
シベノールの効能書の副作用の欄に、直腸潰瘍が書いてありました。
その事を太田医師も知っていました、さすがです。
父は元気になって、4番目の病院、千里中央病院(リハビリ目的)に転院して、
7月には退院となり、母と二人とも、
私の自宅の近所にある養老院に入居となりました。
そろそろ元気になってきたので、
60年間歯科医院をやってきた福岡県大牟田市に
一泊で帰省させることにしました。
おおぜいの患者さん達、友人、歴代の従業員、親類縁者、
みんなが集まって来てくれ、父が元気になった事を心から喜んで下さいました。
そこには父の約90年の歴史が有りました。
父も、この時の酒は本当に美味しかった事でしょう。
息子として、本当に嬉しく思いました。
翌朝、ホテルの6階のベランダに、
コガネムシを縦に長くした感じの虫がうろついていて、
後ろ向きにひっくり返ってはもがいていました。
何度戻してやっても、またひっくり返っている、ドンくさい虫でした。
私の息子が、「ここまで飛んで来たんやから、飛べるやろう」
と、止めるのも聞かず、その虫をベランダから放り投げました。
するとその虫は飛びもせず、1階のコンクリートタイルの上に真っ逆さまに墜落。
上から見ても、ピクリともしません。
「ヤメろ言うたやろ、アホが!」
私は1階まで駆け下り、その虫を見つけました。
背中からひっくり返ったまま6本の脚を伸ばしたまま、
爪先がわずかにピクリピクリ。
死んではいませんが、まさに虫の息。
私はその虫を拾い上げ、シャツの裾の上に乗せ、
下から左手で、上から右手で、”気”を送りました。
「虫さん、ごめんね、治って!」
いつも仕事で使っている気功です。
言葉の通じない虫に効くかどうかは、わかりませんでしたが。
但し、いつもはちゃんと手技療法をやった後の仕上げに使っていますが。
小さな虫を相手に、手技療法のしようが有りませんし。
”回復力、若さ、元の情報に戻る”を意味する”緑”の気と、
”神の力、復活”を意味する”金”の気とを送りました。
すると数分後、その虫はかすかに触角を動かし出したかと思うと、
何と、やがて元気に歩き出しました!
やった自分が思わず叫んでしまいました。
「信じられん!」
私は元気になってきた虫を、安全な木の枝に這わせ、
もう二度と来ることの無いかも知れない街、
故郷の大牟田を後にしました。
さようなら、ありがとう、故郷の街。
虫くん、元気でね。
九州大牟田から帰ってきてから、父は本当に元気になり、
いろんな事を思い出してボケも治り、
体もかなり動ける様になり、
一緒にゴルフの打ちっ放しに行けるほどになりました。
みんな元気になって良かった!
去年の暮れ、87歳まで現役で歯科医師をしていた九州の父が突然、右脳梗塞で倒れました。
忘年会で飲んでいた夜突然、妹夫婦と救急病院の医師から電話が掛かってきました。
出血誘発の危険を覚悟で、血栓融解剤を使うかと言う質問。
かえって危険は有りますが、ためらっていては現状を打破できない。
数時間以内に開始しないと無効。
ここは決断の時。
「僕の責任で、すぐに始めて下さい。」
翌週すぐに福岡県大牟田市の市立病院に入院中の父の元へ。
一命はとりとめていましたが、もちろん倒れてから5日間一度も歩行しておらず。
左半身の麻痺が有りました。
早速、頭蓋骨調整法をはじめオステオパシー、SOT(仙骨後頭骨テクニック)など、
全ての臨床経験を集大成し、自分の持てる限りのテクニックを使って、
父を治しました。
一週間、つきっきりで治しました。
二日目には起立歩行出来るようになった父は、
5日目には左片麻痺は完璧に消滅していました。
病院のスタッフが驚くのを尻目に、当然の表情で帰阪しました。
しかしまだ、この市立病院のスタッフや主治医は、
私の治療への理解も有りました。
さすがにもう現役続行は不可能なので、大阪の私の元へ連れてくる事になりました。
急性期を脱したので、他の病院に一旦転院しました。
そこで3週間入院していた間に全身状態は急転直下。
車いすで大阪の私の自宅に運ばれてきたときは、歩行困難どころか意識朦朧。
おまけにその夜、肛門から大出血。
あと一日連れてくるのが遅かったら、何も出来ずに父は死んでいたでしょう。
はっきり言って、2番目の病院の管理体制に腹が立ちます。
いいかげんな事しやがって!
脱水、低血糖、栄養不良、検査管理怠慢。
この時、父が死んでいたら、私はためらわずこの病院の名前をここに公表したでしょう。
ほんっとにいい加減な病院と医者め。
吹田市の千里済生会病院に、その夜のうちに緊急入院。
3番目の病院のここは、本当に良い病院でした。
医者の私が言うんだから間違いありません。
出血は肛門付近の潰瘍からでした。
しかしそれとは全く別に、その少し上に大腸癌が偶然見つかりました。
この緊急内視鏡のために早期発見されたのですから、
何が幸いするかわかりません。
腹腔鏡手術で早期大腸癌が完全に摘出されました。
外科の太田先生、誠実で腕も立つ優秀な先生でした。
ところで出血の原因の直腸潰瘍は、
不整脈の薬、シベノールをやめたらアッサリ治ってしまいました。
シベノールの効能書の副作用の欄に、直腸潰瘍が書いてありました。
その事を太田医師も知っていました、さすがです。
父は元気になって、4番目の病院、千里中央病院(リハビリ目的)に転院して、
7月には退院となり、母と二人とも、
私の自宅の近所にある養老院に入居となりました。
そろそろ元気になってきたので、
60年間歯科医院をやってきた福岡県大牟田市に
一泊で帰省させることにしました。
おおぜいの患者さん達、友人、歴代の従業員、親類縁者、
みんなが集まって来てくれ、父が元気になった事を心から喜んで下さいました。
そこには父の約90年の歴史が有りました。
父も、この時の酒は本当に美味しかった事でしょう。
息子として、本当に嬉しく思いました。
翌朝、ホテルの6階のベランダに、
コガネムシを縦に長くした感じの虫がうろついていて、
後ろ向きにひっくり返ってはもがいていました。
何度戻してやっても、またひっくり返っている、ドンくさい虫でした。
私の息子が、「ここまで飛んで来たんやから、飛べるやろう」
と、止めるのも聞かず、その虫をベランダから放り投げました。
するとその虫は飛びもせず、1階のコンクリートタイルの上に真っ逆さまに墜落。
上から見ても、ピクリともしません。
「ヤメろ言うたやろ、アホが!」
私は1階まで駆け下り、その虫を見つけました。
背中からひっくり返ったまま6本の脚を伸ばしたまま、
爪先がわずかにピクリピクリ。
死んではいませんが、まさに虫の息。
私はその虫を拾い上げ、シャツの裾の上に乗せ、
下から左手で、上から右手で、”気”を送りました。
「虫さん、ごめんね、治って!」
いつも仕事で使っている気功です。
言葉の通じない虫に効くかどうかは、わかりませんでしたが。
但し、いつもはちゃんと手技療法をやった後の仕上げに使っていますが。
小さな虫を相手に、手技療法のしようが有りませんし。
”回復力、若さ、元の情報に戻る”を意味する”緑”の気と、
”神の力、復活”を意味する”金”の気とを送りました。
すると数分後、その虫はかすかに触角を動かし出したかと思うと、
何と、やがて元気に歩き出しました!
やった自分が思わず叫んでしまいました。
「信じられん!」
私は元気になってきた虫を、安全な木の枝に這わせ、
もう二度と来ることの無いかも知れない街、
故郷の大牟田を後にしました。
さようなら、ありがとう、故郷の街。
虫くん、元気でね。
九州大牟田から帰ってきてから、父は本当に元気になり、
いろんな事を思い出してボケも治り、
体もかなり動ける様になり、
一緒にゴルフの打ちっ放しに行けるほどになりました。
みんな元気になって良かった!
2011年06月05日
第10話:一歩も歩けなかったオジサン
あれからもう2週間以上経ちますが、
あのオジサン(お爺さんかな?)はどうしているでしょうか。
2週間ちょっと前の木曜日の夜。
診療を終えて、残っている仕事を片付け、
家に帰ろうと診療所から約100メートル程のガレージに行きました。
シャッターを開けてクルマを出そうとした時でした。
ガレージの入り口付近の左側に一人の男の人が立っていました。
僕は手で、「早く(前を右側へ)渡って」と合図しました。
しかしその人は立ちつくしたまま、動こうとはしませんでした。
そこで僕はクルマを一旦ガレージの外へ出して、
クルマを降りてシャッターの電動スイッチ(閉)を押して、
「どうぞ行って下さい。」と言いました。
しかしその人は少しずつしか歩けず、
1メートル歩くのに1分もかかる様な足取りでした。
「どうされたんですか?」と聞くと、
『膝を痛めて、一歩も歩けなくなりました。』と言われました。
「いつから?」 『1ヶ月にもなるでしょうか。』
「それは大変だ。(名刺を渡して)私はこの近所で医者をやっている者です。
良かったら一度受診してみて下さい。
但し、手による治療は5000円程の自費を頂いてますが。」
『自費ですか........』 来れないなと言う表情。
見ると、身なりはかなり汚く、着たきりスズメの様子。
「オジサン、失礼ですが、家は?」 『ありません。』やはり。
つまりホームレス。それじゃあ、受診できるわけ有りません。
たぶん健康保険も無いでしょう。
けれど、それならなおさらの事、こんな人を放っておけるわけは有りません。
「今なら従業員も居ないし、タダで僕が診て上げましょう。
この近所ですから、僕のクルマにお乗りなさい。」
『エッ! .......良いんですか?』
「良いですよ。すぐに歩ける様にしてあげますから、安心して。」
私はそのオジサンをクルマに乗せて、山下医院に連れて来ました。
そして診察しようとしたのですが、
明かりの下で見ると、正直言って、かなり汚れた服でした。
診察台のカバーを取ってその人を治療しました。
特に最近は、膝や足腰の治療はお手の物、
特にこの人は主に右の膝だけのダメージでしたから、すぐに治療は終わりました。
(申し訳ありませんが以後の患者さんの為に、終わってすぐ、
診察台と腰に当てた骨盤矯正器具はアルコール綿花で消毒させて頂きました)
「どうですか? 歩いてみて下さい。」
『はい.......アッ!....歩けます!......有り難うございます!』
普通に歩けるようになりましたし、大股で足踏みも出来るし、しゃがめます。
これで一安心、良かったですね。
........しかし一つだけ、気がかりな事が有ります。
「オジサン、今日、ご飯は?」
『食べてません。』..........やっぱり。
「こんな状態でいつから暮らしてるんですか?」
『1ヶ月くらいです。住んでた所を追い出されて。』
可哀想に。
『あと1ヶ月くらいしたら、何とかなるとは思いますが。』
「お年齢は?」 『80歳です。』
「今の日本の豊かさは、あなた達の世代の努力と苦労のお陰なんです。
最近ちょっとアヤしくなってきましたが、
私達の世代が頑張りますから、
悲観しないでもうちょっとだけこの国を見てて下さい。」
ポケットの中にお金は.......ありゃりゃ、1万5000円しか無い。
5000円をあげるべきか、1万円をあげるべきか、
みんなあげるべきか、それともそのまま知らんふりするべきか。
頭の中で、ツノが生えた僕と、輪っかのある僕とが闘っていました。
私はポケットの中から1万円を取り出し、オジサンに渡しました。
「ハイ、これ。......とにかくこれでしばらくしのいで下さい。
これくらいしかしてあげられませんが。」
『いいえ、こんな........治療して頂いた上に、お金なんて。』
「いいから、とにかく腹ごしらえして下さい。
腹が減ってはイクサは出来ません。」
『有り難うございます......どうも....どうも有り難うございます。』
その人は泣いて泣いて、お金を受け取ってくれました。
山下医院を一緒に出て、その人はすぐ右に曲がって、
コンビニの方へ歩いて行かれました。
丁寧に丁寧に何度もお礼を言われて。
僕はクルマで左に曲がって、家路につきました。
しかしすぐにあることに気が付きました。
「アッ! 生活保護の手続きを教えてあげるのを忘れた!」
浪速区は生活保護で15万円もらえます。
5万円くらいの住むところも斡旋してもらえるし、
それでも10万円近く残ります。
浪速区の区役所まで乗せていってあげなくては。
.......私はすぐに、元の所へ引き返しました。
まだ5分くらいしか経っていないのに、その人は居ませんでした。
コンビニの中には居ない、
近くの道をくまなく探しましたが影も形もありません。
近所の開いている飲食店にもどこにも居ません。
近くのホームレスの人達が寝ている公園にも居ません。
商店街の店前でダンボール箱で寝ている人達の中にも居ませんでした。
煙のように消えたのです!
.......まあ良いか。
これだけ短時間の間に、
それだけ目の届かない所まで歩いて行けてると言うことは、
考えようによっては、良いことじゃないか。
そう思って、家に帰ることにしました。
家に帰ったら、ヨメさんと、同居しているお袋に、
『遅い!』 『お金まであげて、バカじゃないの!』
『明日の晩は、同じ様な人達が10人くらい並んでるわよ。』
とか罵声を浴びせられながら、
「やかましい!ひょっとしたらホントは財閥の会長あたりでさ、
横にロールスロイスなんかが止まっててさ、
うん、今日は素晴らしい若者に出会ったよ
とか言ってるかも知れないじゃないか。
.......もう良い! ビール!」
『あ、冷やすの忘れてた。』
「エエッッッッッ?」
生ぬるいビールに氷を入れて、
あんまりおいしくない、ビールのオンザロックで晩酌。
次の日の朝、”通りすがりのオジサン”と書いた診療メモを
事務長が持ってきて、
『これ、何スか?』と聞くので、
「ああ、これね。カクカクシカジカ。」と説明したら、
事務長は、『アイテテテ、膝と腰が痛い。2万円くらい.....』
「くれるん?」
『ちゃいますよ、逆!逆!』
「アホなこと言うてんと、ほらほら、電話鳴ってるで!」
今日も忙しく、人情と漫才の街大阪の朝が始まるのでした。
(食い道楽と自己中の街でもあります)
ちなみに、その後どこからも連絡がありませんので、
やっぱりロールスロイスは止まってなかった様です。
あのオジサン(お爺さんかな?)はどうしているでしょうか。
2週間ちょっと前の木曜日の夜。
診療を終えて、残っている仕事を片付け、
家に帰ろうと診療所から約100メートル程のガレージに行きました。
シャッターを開けてクルマを出そうとした時でした。
ガレージの入り口付近の左側に一人の男の人が立っていました。
僕は手で、「早く(前を右側へ)渡って」と合図しました。
しかしその人は立ちつくしたまま、動こうとはしませんでした。
そこで僕はクルマを一旦ガレージの外へ出して、
クルマを降りてシャッターの電動スイッチ(閉)を押して、
「どうぞ行って下さい。」と言いました。
しかしその人は少しずつしか歩けず、
1メートル歩くのに1分もかかる様な足取りでした。
「どうされたんですか?」と聞くと、
『膝を痛めて、一歩も歩けなくなりました。』と言われました。
「いつから?」 『1ヶ月にもなるでしょうか。』
「それは大変だ。(名刺を渡して)私はこの近所で医者をやっている者です。
良かったら一度受診してみて下さい。
但し、手による治療は5000円程の自費を頂いてますが。」
『自費ですか........』 来れないなと言う表情。
見ると、身なりはかなり汚く、着たきりスズメの様子。
「オジサン、失礼ですが、家は?」 『ありません。』やはり。
つまりホームレス。それじゃあ、受診できるわけ有りません。
たぶん健康保険も無いでしょう。
けれど、それならなおさらの事、こんな人を放っておけるわけは有りません。
「今なら従業員も居ないし、タダで僕が診て上げましょう。
この近所ですから、僕のクルマにお乗りなさい。」
『エッ! .......良いんですか?』
「良いですよ。すぐに歩ける様にしてあげますから、安心して。」
私はそのオジサンをクルマに乗せて、山下医院に連れて来ました。
そして診察しようとしたのですが、
明かりの下で見ると、正直言って、かなり汚れた服でした。
診察台のカバーを取ってその人を治療しました。
特に最近は、膝や足腰の治療はお手の物、
特にこの人は主に右の膝だけのダメージでしたから、すぐに治療は終わりました。
(申し訳ありませんが以後の患者さんの為に、終わってすぐ、
診察台と腰に当てた骨盤矯正器具はアルコール綿花で消毒させて頂きました)
「どうですか? 歩いてみて下さい。」
『はい.......アッ!....歩けます!......有り難うございます!』
普通に歩けるようになりましたし、大股で足踏みも出来るし、しゃがめます。
これで一安心、良かったですね。
........しかし一つだけ、気がかりな事が有ります。
「オジサン、今日、ご飯は?」
『食べてません。』..........やっぱり。
「こんな状態でいつから暮らしてるんですか?」
『1ヶ月くらいです。住んでた所を追い出されて。』
可哀想に。
『あと1ヶ月くらいしたら、何とかなるとは思いますが。』
「お年齢は?」 『80歳です。』
「今の日本の豊かさは、あなた達の世代の努力と苦労のお陰なんです。
最近ちょっとアヤしくなってきましたが、
私達の世代が頑張りますから、
悲観しないでもうちょっとだけこの国を見てて下さい。」
ポケットの中にお金は.......ありゃりゃ、1万5000円しか無い。
5000円をあげるべきか、1万円をあげるべきか、
みんなあげるべきか、それともそのまま知らんふりするべきか。
頭の中で、ツノが生えた僕と、輪っかのある僕とが闘っていました。
私はポケットの中から1万円を取り出し、オジサンに渡しました。
「ハイ、これ。......とにかくこれでしばらくしのいで下さい。
これくらいしかしてあげられませんが。」
『いいえ、こんな........治療して頂いた上に、お金なんて。』
「いいから、とにかく腹ごしらえして下さい。
腹が減ってはイクサは出来ません。」
『有り難うございます......どうも....どうも有り難うございます。』
その人は泣いて泣いて、お金を受け取ってくれました。
山下医院を一緒に出て、その人はすぐ右に曲がって、
コンビニの方へ歩いて行かれました。
丁寧に丁寧に何度もお礼を言われて。
僕はクルマで左に曲がって、家路につきました。
しかしすぐにあることに気が付きました。
「アッ! 生活保護の手続きを教えてあげるのを忘れた!」
浪速区は生活保護で15万円もらえます。
5万円くらいの住むところも斡旋してもらえるし、
それでも10万円近く残ります。
浪速区の区役所まで乗せていってあげなくては。
.......私はすぐに、元の所へ引き返しました。
まだ5分くらいしか経っていないのに、その人は居ませんでした。
コンビニの中には居ない、
近くの道をくまなく探しましたが影も形もありません。
近所の開いている飲食店にもどこにも居ません。
近くのホームレスの人達が寝ている公園にも居ません。
商店街の店前でダンボール箱で寝ている人達の中にも居ませんでした。
煙のように消えたのです!
.......まあ良いか。
これだけ短時間の間に、
それだけ目の届かない所まで歩いて行けてると言うことは、
考えようによっては、良いことじゃないか。
そう思って、家に帰ることにしました。
家に帰ったら、ヨメさんと、同居しているお袋に、
『遅い!』 『お金まであげて、バカじゃないの!』
『明日の晩は、同じ様な人達が10人くらい並んでるわよ。』
とか罵声を浴びせられながら、
「やかましい!ひょっとしたらホントは財閥の会長あたりでさ、
横にロールスロイスなんかが止まっててさ、
うん、今日は素晴らしい若者に出会ったよ
とか言ってるかも知れないじゃないか。
.......もう良い! ビール!」
『あ、冷やすの忘れてた。』
「エエッッッッッ?」
生ぬるいビールに氷を入れて、
あんまりおいしくない、ビールのオンザロックで晩酌。
次の日の朝、”通りすがりのオジサン”と書いた診療メモを
事務長が持ってきて、
『これ、何スか?』と聞くので、
「ああ、これね。カクカクシカジカ。」と説明したら、
事務長は、『アイテテテ、膝と腰が痛い。2万円くらい.....』
「くれるん?」
『ちゃいますよ、逆!逆!』
「アホなこと言うてんと、ほらほら、電話鳴ってるで!」
今日も忙しく、人情と漫才の街大阪の朝が始まるのでした。
(食い道楽と自己中の街でもあります)
ちなみに、その後どこからも連絡がありませんので、
やっぱりロールスロイスは止まってなかった様です。
2010年12月26日
第9話: 僕は医者がキライです
もう随分前ですが、医師になって間もない頃の話です。
私は2年間の外科の研修を終えて、大学病院の放射線科に入局していました。
そこに、1年後輩で内科の研修医(ヨソの大学卒)が入ってきました。
その頃、僕の高校時代の同級生から、
妹の見合い相手が居ないか探してくれと頼まれていました。
そこでそいつに、「お見合いして見いへん?」と聞いてみました。
そいつは、『その娘、4年制の大学出ですか?』と聞いてきました。
「???」意味がわかりませんでしたが、「いや、短大卒や。」と答えました。
『それじゃあダメだな。ウチは代々4年制の大学卒しか結婚しない事になってるんですよ。』
ムカッ!と来ました。
「そうか。お前んとこは江戸時代から4年制の大学卒のヨメか。お前、何様やねん。」
『失敬な人ですね、あなたは。』
「国試(医師国家試験)に”人格”言うのが有ったら、お前、通らへんで。」
そんな出来事があってしばらくしての事です。
大阪府高槻市に大阪医大はあるのですが、その隣に茨木市が有ります。
ある日私は、茨木市のある病院の外科外来のアルバイトをしていました。
すると突然、隣の内科の外来から、女の人の大きな声がしました。
「私、もうこんなとこ、二度と来ませえん!」
泣き声と共に走り出す足音。
「どうした、何かあったん?」と隣をのぞいてみました。
『あっ、先輩』 内科外来は何と1年後輩のそのイヤな奴でした。
「何の騒ぎや?」 『先輩、今僕は非常に腹が立ってるんですよ。』
「それで?」 『あの女性が、一週間前から胃炎だって言うんです。』
「それで?」 『しかもさらに、3日前から風邪だって言うんですよ。』
「ほんで?」 『僕が、”あなたは診断をするな”って言ってやったんです。』
「えっ?」 『あなたは医者ですか、医者でないくせに診断名を言ってはいけない、
診断は医師がするものですよ、と言ってやったんです。
そしたら泣いて大声を出して出て行ったんです。』
「バカヤロウ!!」 ゲンコツでそいつの頭を思いっきり叩いてやりました。
『??何をするんですか! 失敬な。』
「お前、何で叩かれたんかわからんか?」 『わかりません。』
「ほんならお前、医者が患者さんに対して行うことは何や、言うて見い!」
『問診して、診察して、検査をして、診断をして、処方と処置をする事です。』
こいつは胸を張って、正解を答えたつもりだったのでしょう。
「バカヤロウ!!」もう一回思いっきりドツキ(殴り)ました。
『何をするんですか。何か間違った事を言ったとでも言うんですか?』
「間違うてる。」 『ほう、いくら先輩でも許しませんよ。ボクは間違ってません。』
「ほんならお前、あの患者さんは、ここに何しに来たんや?」 『病気を治しにです。』
「お前、あの人を治したんか?」 『.......あっ!』
「治しとらんし、治せんかったし、治そうともしとらんやろが。」 『....そうですね。』
「医者が患者さんにすべき事、言うたろか。」 『お願いします。』
「それは、”患者さんの苦しみを解いてあげる事”や。」 『.......そうですね。』
「”一週間前から胃炎”それから”3日前から風邪”それは両方とも、
患者さんからもらった重要な情報やったんや。」 『そうですね。』
「普通に聞けば、”キリキリ痛みますか”とか、”空腹時に痛みますか”とか、
色々情報はそれから深く掘り下げて行けた筈や。」 『はい。』
「3日前から風邪も、”くしゃみ””咳””熱””寒気””ノド痛”色々聞けた筈や。」 『はい』
「プライドだけで生きとるから、かえって何もでけへんのや。」『はい』
「自分がアホやと言うことを知らなあかん、知らんと成長せえへん。それは俺も同じや。」 『はい』
「今日のあの患者さんは、お前の先生やと思わなあかんで。」
後で、その病院中の看護婦さん達から、良く言ってくれたと喜ばれました。
.......と言う事は、そいつは前からずっと同じ様なことを繰り返してきたという事です。
この事件でソイツの人間性が改善されたとは思いません。
そいつのその後の消息は知りません。
しかしそれから現在まで、幾多あまたの同様な医師を見て来ました。
ほんの一握り、素晴らしい医師達とも出会いました。
素晴らしい実力の医師達にも出会いました。
しかしこれまで、圧倒的にあいつみたいな”敵”ばかりでした。
本当に、医師国家試験か大学入試に、
”人格”という条項を設けるべきだと思います、本気で。
ボクは医者がキライです。
私は2年間の外科の研修を終えて、大学病院の放射線科に入局していました。
そこに、1年後輩で内科の研修医(ヨソの大学卒)が入ってきました。
その頃、僕の高校時代の同級生から、
妹の見合い相手が居ないか探してくれと頼まれていました。
そこでそいつに、「お見合いして見いへん?」と聞いてみました。
そいつは、『その娘、4年制の大学出ですか?』と聞いてきました。
「???」意味がわかりませんでしたが、「いや、短大卒や。」と答えました。
『それじゃあダメだな。ウチは代々4年制の大学卒しか結婚しない事になってるんですよ。』
ムカッ!と来ました。
「そうか。お前んとこは江戸時代から4年制の大学卒のヨメか。お前、何様やねん。」
『失敬な人ですね、あなたは。』
「国試(医師国家試験)に”人格”言うのが有ったら、お前、通らへんで。」
そんな出来事があってしばらくしての事です。
大阪府高槻市に大阪医大はあるのですが、その隣に茨木市が有ります。
ある日私は、茨木市のある病院の外科外来のアルバイトをしていました。
すると突然、隣の内科の外来から、女の人の大きな声がしました。
「私、もうこんなとこ、二度と来ませえん!」
泣き声と共に走り出す足音。
「どうした、何かあったん?」と隣をのぞいてみました。
『あっ、先輩』 内科外来は何と1年後輩のそのイヤな奴でした。
「何の騒ぎや?」 『先輩、今僕は非常に腹が立ってるんですよ。』
「それで?」 『あの女性が、一週間前から胃炎だって言うんです。』
「それで?」 『しかもさらに、3日前から風邪だって言うんですよ。』
「ほんで?」 『僕が、”あなたは診断をするな”って言ってやったんです。』
「えっ?」 『あなたは医者ですか、医者でないくせに診断名を言ってはいけない、
診断は医師がするものですよ、と言ってやったんです。
そしたら泣いて大声を出して出て行ったんです。』
「バカヤロウ!!」 ゲンコツでそいつの頭を思いっきり叩いてやりました。
『??何をするんですか! 失敬な。』
「お前、何で叩かれたんかわからんか?」 『わかりません。』
「ほんならお前、医者が患者さんに対して行うことは何や、言うて見い!」
『問診して、診察して、検査をして、診断をして、処方と処置をする事です。』
こいつは胸を張って、正解を答えたつもりだったのでしょう。
「バカヤロウ!!」もう一回思いっきりドツキ(殴り)ました。
『何をするんですか。何か間違った事を言ったとでも言うんですか?』
「間違うてる。」 『ほう、いくら先輩でも許しませんよ。ボクは間違ってません。』
「ほんならお前、あの患者さんは、ここに何しに来たんや?」 『病気を治しにです。』
「お前、あの人を治したんか?」 『.......あっ!』
「治しとらんし、治せんかったし、治そうともしとらんやろが。」 『....そうですね。』
「医者が患者さんにすべき事、言うたろか。」 『お願いします。』
「それは、”患者さんの苦しみを解いてあげる事”や。」 『.......そうですね。』
「”一週間前から胃炎”それから”3日前から風邪”それは両方とも、
患者さんからもらった重要な情報やったんや。」 『そうですね。』
「普通に聞けば、”キリキリ痛みますか”とか、”空腹時に痛みますか”とか、
色々情報はそれから深く掘り下げて行けた筈や。」 『はい。』
「3日前から風邪も、”くしゃみ””咳””熱””寒気””ノド痛”色々聞けた筈や。」 『はい』
「プライドだけで生きとるから、かえって何もでけへんのや。」『はい』
「自分がアホやと言うことを知らなあかん、知らんと成長せえへん。それは俺も同じや。」 『はい』
「今日のあの患者さんは、お前の先生やと思わなあかんで。」
後で、その病院中の看護婦さん達から、良く言ってくれたと喜ばれました。
.......と言う事は、そいつは前からずっと同じ様なことを繰り返してきたという事です。
この事件でソイツの人間性が改善されたとは思いません。
そいつのその後の消息は知りません。
しかしそれから現在まで、幾多あまたの同様な医師を見て来ました。
ほんの一握り、素晴らしい医師達とも出会いました。
素晴らしい実力の医師達にも出会いました。
しかしこれまで、圧倒的にあいつみたいな”敵”ばかりでした。
本当に、医師国家試験か大学入試に、
”人格”という条項を設けるべきだと思います、本気で。
ボクは医者がキライです。
2010年11月08日
第8話:膠原病の紳士、私の恩人となる
もう7年ほど前になりますが、60歳代の男性が来院されました。
背が高く上品な紳士でしたが、身体はヘロヘロでした。
全身の強い痛みと持続性の微熱、むくみが治らないとの事でした。
筋肉も衰え硬くなり、身体もだんだん動きが鈍くなってきているとの事でした。
大阪の国立循環器病センターに入院し、膠原病だと診断されたそうです。
糖尿病も高血圧症も併発しておられ、病気の総合商社状態でした。
糖尿病の薬、高血圧の薬、循環改善剤、鎮痛剤、胃薬、睡眠薬など、
10種類の薬を処方されていました。
しかし一向に症状は改善せず、むしろ悪くなる一方なので、
薬が本当に適切なものなのか、セカンドオピニオンが欲しいとの事でした。
しかも糖尿病のサプリメントも飲んでおられ、
これが又変な化学物質を含むウサンクサイ物でした。
東京のカイロプラクティックの専門学校校長の、塩川満章先生の著書に、
私のことが載っていたので来診したとの事でした。
つべこべ言うのも面倒臭い、サッサと楽にしてあげた方が早いので、
オステオパシーと操体法とSOT(カイロプラクティックの一種)と
十字式治療法と経絡治療を組み合わせて治療しました。
これでその薬が本当に全部必要かは、2回目から一緒に考えましょうと。
そしてウサンくさいサプリは即刻中止してもらいました。
採血してみると案の定、身体は何らかの得体の知れない化学物質を破壊しようと、
消化に使う蛋白分解酵素(トリプシン)を血中に大量放出していました。
これだと、筋肉をはじめ体中の自分自身の細胞の蛋白質が破壊されます。
この方は、そんな状態だったのです。
3回治療した時点で、両肩や両手、股関節の長年の痛みが激減したとの事でした。
そのため、鎮痛剤は必要でなくなりました。
夜間頻尿もなくなり、睡眠薬も必要でなくなりました。
右手が一番ひどかったのですが、全身の浮腫(むくみ)もなくなり、
循環改善剤も必要でなくなりました。
37.5~37.8度の熱も37.0度以下に下がり、
解熱剤も必要でなくなりました。
もちろん血液中の蛋白分解酵素(トリプシン)は正常になりました。
手足に力が入るようになり、緩慢だった動作が速くなりました。
糖尿病の薬と血圧の薬は仕方ありません。
但し身体の末梢血管抵抗が改善(下がった)ので、
たくさんの降圧剤は必要なくなりましたが。
あまりの治療効果に感激され、定期的に通院して頂くことになりました。
それまでは良かったのですが、困ったことを言い出されました。
「いやあ先生、本当に楽になりました。先生は私の命の恩人です。
そこで何かお礼をしたいのですが..............」
ここ迄は良かったのですが、
この方は、元IBMに勤めておられたコンピューター技術のエキスパートで、
今は大学でコンピューター関連講座の講師をしておられたのです。
「先生にぜひ、パソコンの技術を教えて差し上げたいのですが。」
『えっ?』.........『いや、いいですよ。』
私はパソコンが大の苦手で、スイッチの入れ方も切り方も知らない
超アナログ人間でしたから。
尻込みしたのですが、何とも押しの強い方で、
とうとう私もパソコンの個人レッスンを受けることになってしまいました。
しかし何が幸いするかわかりません。
それから2年後、私の発明をある会社が商品化
して発売したとき、私は陰謀にはまり、
1週間以内に9400万円支払わなければならない
ワナにはまりました。
おまけに納品した商品卸し代金1億2000万円の支払もしてくれません。
明日支払という日曜日の晩、その会社に呼び出され、
経理部長から、
「この書類にサインしてくれたら支払います。」と突き出されたのは、
何と特許を譲り渡すという書類。
ハメられた!と悟り、良く書類を見ると、
その特許の売却(安い金額!)期日はとうに過ぎた日。
何とマヌケな詐欺師だと、おかしくて吹き出しそうになりましたが、
そんな昔から(初めから)、俺をダマすつもりでいやがったのかと、
怒りもこみ上げてきました。
(証拠として、その書類はもらいましたが、サインはしてません。)
私の周りのスタッフを全員引き抜き、商品の製造会社も抱き込み、
あとは私から特許を取り上げるだけ。
しかし何とこの窮地を、コンピューターが救ってくれたのです。
メールも出来なかった私が、
別の友人達と事前に情報交換していたのですが、
その一人の友人が、一週間前すでにこうなるだろうという予測をしてくれていました。
「ヤマちゃん、これはすでにハメられてるよ。
たぶん、支払いもしてくれないし、むしろ特許をよこせと言ってくるだろう。
まわりのスタッフもみんなカネでころんで寝返っていると考えた方が良い。」
『えっ? そんなバカな!』 しかし、まさにその通りでした。
さらに、この翌日に受診された私の患者さんの一人が、私の顔色を見て、
『先生、何かあったね?』と言って、事情を聞いて下さいました。
その患者さんは、黙って次の日、4000万円を振り込んできて下さいました。
借用書を書きましたが、突っ返されました。
『先生、私たちは先生あってこそ、元気で生きていられてるんです。
どうか山下医院を無くさないで下さい。
お金は、先生の研究が成功して、少しでも返せるようになったら、
その時に返して頂ければ結構です。どうか負けないで下さい。』
私は涙が止まりませんでした。
この患者さんと、事前のアドバイスのおかげで、
実はこの会社の会議室に呼び出された日には、9400万円はすでに精算済みだったのです。
しかしスタッフ(裏切り者)にはこの事をあかさずにいました。
会議室から出てきたら、待っている筈のウチのスタッフが居ません。
「池田と小牧は?」 『帰られました。』
やっぱり!
ヤツらは私をこの会社の会議室に連れてくるのが任務だったのです。
こいつらは二度と私の前に姿を現しません。
しかしザマーミロ、この裏切りスタッフに渡してあるのは、
私の発明、ヤードクカオを使った枕元置くだけダイエットの、
ニセのレシピだったのです。
製造会社の担当に心ある人がいて、その事はその会社にも
知らせずにいました。
そのため、その後その会社は勝手に同じ製品を製造発売しましたが(特許違反です!)、
全然効果が無いので、発売中止に追い込まれました。
用済みになったこの裏切りスタッフは、その会社からも見捨てられて
お払い箱になった様です。
その後この会社とは3年間の裁判の末、2009年9月に、
私の全面勝訴が確定しました。
一個人対年商250億円の会社との闘い。
蟻と象の闘いでしたが、決して諦めなかった事と、
僕は独りぼっちでは無かったことが勝因でしょう。
今、別の会社から、私の本物の製品が出ています。
自然医療山下医院の公式ホームページ http://www.dr-yamashita.co.jp
のダイエットのコーナーに、
モニター報告等、資料が公開されています。
興味のある方は、どうぞ。
このホームページも、私が作りました。
ブログも出来るようになりました。
資料づくりも、仲間との資料や情報交換も
パソコンメールも携帯メールも、
思いのままに出来たからこそ、
間一髪で危機を回避でき、
再起も出来たのだと思います。
初めはホントはありがた迷惑だったのですが、
教えてもらっておいたパソコン技術のおかげで
命を救って頂きました。
今は本当に良かったと思いますし、心から感謝しています。
松井先生、どうも有り難うございます!
背が高く上品な紳士でしたが、身体はヘロヘロでした。
全身の強い痛みと持続性の微熱、むくみが治らないとの事でした。
筋肉も衰え硬くなり、身体もだんだん動きが鈍くなってきているとの事でした。
大阪の国立循環器病センターに入院し、膠原病だと診断されたそうです。
糖尿病も高血圧症も併発しておられ、病気の総合商社状態でした。
糖尿病の薬、高血圧の薬、循環改善剤、鎮痛剤、胃薬、睡眠薬など、
10種類の薬を処方されていました。
しかし一向に症状は改善せず、むしろ悪くなる一方なので、
薬が本当に適切なものなのか、セカンドオピニオンが欲しいとの事でした。
しかも糖尿病のサプリメントも飲んでおられ、
これが又変な化学物質を含むウサンクサイ物でした。
東京のカイロプラクティックの専門学校校長の、塩川満章先生の著書に、
私のことが載っていたので来診したとの事でした。
つべこべ言うのも面倒臭い、サッサと楽にしてあげた方が早いので、
オステオパシーと操体法とSOT(カイロプラクティックの一種)と
十字式治療法と経絡治療を組み合わせて治療しました。
これでその薬が本当に全部必要かは、2回目から一緒に考えましょうと。
そしてウサンくさいサプリは即刻中止してもらいました。
採血してみると案の定、身体は何らかの得体の知れない化学物質を破壊しようと、
消化に使う蛋白分解酵素(トリプシン)を血中に大量放出していました。
これだと、筋肉をはじめ体中の自分自身の細胞の蛋白質が破壊されます。
この方は、そんな状態だったのです。
3回治療した時点で、両肩や両手、股関節の長年の痛みが激減したとの事でした。
そのため、鎮痛剤は必要でなくなりました。
夜間頻尿もなくなり、睡眠薬も必要でなくなりました。
右手が一番ひどかったのですが、全身の浮腫(むくみ)もなくなり、
循環改善剤も必要でなくなりました。
37.5~37.8度の熱も37.0度以下に下がり、
解熱剤も必要でなくなりました。
もちろん血液中の蛋白分解酵素(トリプシン)は正常になりました。
手足に力が入るようになり、緩慢だった動作が速くなりました。
糖尿病の薬と血圧の薬は仕方ありません。
但し身体の末梢血管抵抗が改善(下がった)ので、
たくさんの降圧剤は必要なくなりましたが。
あまりの治療効果に感激され、定期的に通院して頂くことになりました。
それまでは良かったのですが、困ったことを言い出されました。
「いやあ先生、本当に楽になりました。先生は私の命の恩人です。
そこで何かお礼をしたいのですが..............」
ここ迄は良かったのですが、
この方は、元IBMに勤めておられたコンピューター技術のエキスパートで、
今は大学でコンピューター関連講座の講師をしておられたのです。
「先生にぜひ、パソコンの技術を教えて差し上げたいのですが。」
『えっ?』.........『いや、いいですよ。』
私はパソコンが大の苦手で、スイッチの入れ方も切り方も知らない
超アナログ人間でしたから。
尻込みしたのですが、何とも押しの強い方で、
とうとう私もパソコンの個人レッスンを受けることになってしまいました。
しかし何が幸いするかわかりません。
それから2年後、私の発明をある会社が商品化
して発売したとき、私は陰謀にはまり、
1週間以内に9400万円支払わなければならない
ワナにはまりました。
おまけに納品した商品卸し代金1億2000万円の支払もしてくれません。
明日支払という日曜日の晩、その会社に呼び出され、
経理部長から、
「この書類にサインしてくれたら支払います。」と突き出されたのは、
何と特許を譲り渡すという書類。
ハメられた!と悟り、良く書類を見ると、
その特許の売却(安い金額!)期日はとうに過ぎた日。
何とマヌケな詐欺師だと、おかしくて吹き出しそうになりましたが、
そんな昔から(初めから)、俺をダマすつもりでいやがったのかと、
怒りもこみ上げてきました。
(証拠として、その書類はもらいましたが、サインはしてません。)
私の周りのスタッフを全員引き抜き、商品の製造会社も抱き込み、
あとは私から特許を取り上げるだけ。
しかし何とこの窮地を、コンピューターが救ってくれたのです。
メールも出来なかった私が、
別の友人達と事前に情報交換していたのですが、
その一人の友人が、一週間前すでにこうなるだろうという予測をしてくれていました。
「ヤマちゃん、これはすでにハメられてるよ。
たぶん、支払いもしてくれないし、むしろ特許をよこせと言ってくるだろう。
まわりのスタッフもみんなカネでころんで寝返っていると考えた方が良い。」
『えっ? そんなバカな!』 しかし、まさにその通りでした。
さらに、この翌日に受診された私の患者さんの一人が、私の顔色を見て、
『先生、何かあったね?』と言って、事情を聞いて下さいました。
その患者さんは、黙って次の日、4000万円を振り込んできて下さいました。
借用書を書きましたが、突っ返されました。
『先生、私たちは先生あってこそ、元気で生きていられてるんです。
どうか山下医院を無くさないで下さい。
お金は、先生の研究が成功して、少しでも返せるようになったら、
その時に返して頂ければ結構です。どうか負けないで下さい。』
私は涙が止まりませんでした。
この患者さんと、事前のアドバイスのおかげで、
実はこの会社の会議室に呼び出された日には、9400万円はすでに精算済みだったのです。
しかしスタッフ(裏切り者)にはこの事をあかさずにいました。
会議室から出てきたら、待っている筈のウチのスタッフが居ません。
「池田と小牧は?」 『帰られました。』
やっぱり!
ヤツらは私をこの会社の会議室に連れてくるのが任務だったのです。
こいつらは二度と私の前に姿を現しません。
しかしザマーミロ、この裏切りスタッフに渡してあるのは、
私の発明、ヤードクカオを使った枕元置くだけダイエットの、
ニセのレシピだったのです。
製造会社の担当に心ある人がいて、その事はその会社にも
知らせずにいました。
そのため、その後その会社は勝手に同じ製品を製造発売しましたが(特許違反です!)、
全然効果が無いので、発売中止に追い込まれました。
用済みになったこの裏切りスタッフは、その会社からも見捨てられて
お払い箱になった様です。
その後この会社とは3年間の裁判の末、2009年9月に、
私の全面勝訴が確定しました。
一個人対年商250億円の会社との闘い。
蟻と象の闘いでしたが、決して諦めなかった事と、
僕は独りぼっちでは無かったことが勝因でしょう。
今、別の会社から、私の本物の製品が出ています。
自然医療山下医院の公式ホームページ http://www.dr-yamashita.co.jp
のダイエットのコーナーに、
モニター報告等、資料が公開されています。
興味のある方は、どうぞ。
このホームページも、私が作りました。
ブログも出来るようになりました。
資料づくりも、仲間との資料や情報交換も
パソコンメールも携帯メールも、
思いのままに出来たからこそ、
間一髪で危機を回避でき、
再起も出来たのだと思います。
初めはホントはありがた迷惑だったのですが、
教えてもらっておいたパソコン技術のおかげで
命を救って頂きました。
今は本当に良かったと思いますし、心から感謝しています。
松井先生、どうも有り難うございます!
2010年10月31日
第7話:見捨てられた交通事故患者
もう11年くらい前になりますが、
20歳位の大学生が、自律神経失調症で来院して来ました。
彼は、恋人との人間関係をうまく維持出来ないと訴えていました。
不眠、めまい、憂鬱、空虚感で一杯でした。
ひょっとしたらと聞いてみると、
やはり彼は、ある殺戮ゲームにハマっていました。
脳内の安らぎホルモンのメラトニンと、
意欲や自意識の脳内ホルモンのセロトニンと、
連帯と信頼の脳内ホルモンのオキシトシンの生成障害が考えられました。
その殺戮ゲームの中止と、食事指導、
頭蓋骨調整と脳脊髄液調整で、完全に蘇りました。
それから何年か経ちました。
そしてある日、世界一周の船旅で、
本当に一心同体になれる素晴らしい彼女をゲットしてきました。
自然農法の仕事も見つけ、
その彼女との、新婚旅行の前日。
とんでもないことが起こりました。
自然農法の大根を胸に抱いて、
彼は交差点で信号待ちで横断歩道の最前列に立っていました。
すると目の前で車が正面衝突し、
その一台がスピンして彼に向かって飛んで来たのです。
抱いていた大根がクッションになり、
何とか彼は一命を取り留めました。
しかし足腰と膝の痛みのためベッドから起きあがることはもちろん、
寝返りさえもうてませんでした。
めまいも激しく、起きあがると天井が舞います。
もちろん立つことも歩行も不能です。
実名をあげますが、入院したのは国立名古屋病院の外科です!
その主治医(実名をあげたい!)が、
入院して2日目のそんな彼に、退院指示を出しました。
その後で別の整形外科医が、彼の左の坐骨と恥骨の骨折を見つけました。
しかし主治医の退院指示は変わりませんでした。
見落としやミスを認めようとしない、こんな医者は断じて許せない!
「先生、僕はまだ歩けませんが。」
『たいしたこと無いから、通院して下さい。』
「アパートは階段だけの2階ですが、階段なんて昇れません。
タクシーにも電車にも乗れませんが、どうやって通院するんですか?」
『それはあなたが考えることです。』
このヒドイ医者、実名を書きたいですが、書いて良いですか?
この状態の時に、僕に彼から電話が有りました。
「先生、どうしたら良いでしょう?」
『明日すぐ行くから、待っとれ! 立って歩けるるようにしたる!』
翌日私は名古屋にすっ飛び、国立名古屋病院に乗り込みました。
私は全身全霊を傾け、ありったけのテクニックを使い、
ベッドに横たわったまま寝返りも起きあがりも出来ない彼を、
起きあがれる様になるまで1時間、
歩行器で立って歩ける様になるまでさらに1時間かかりました。
「うわあ、歩けるぞう!わっはっは!」
歩行器で彼は、看護婦詰め所の前を何度も往復しました。
しかし看護婦の反応は全て冷ややかでした。
どうやら私は、この病院と主治医の面目を潰した様です。
その後さらに2回、私は名古屋に治療に行きました。
そして元気になってくれました。
今、彼は自然農法関係の仕事をしています。
彼女とも、籍を入れたそうです。
時々その彼女と一緒に、大阪の私の診療所にもやって来ます。
ウチの事務員や看護婦さんたちにひやかされながら。
幻の新婚旅行、そろそろ行き直しなよ。
がんばれ桑田君!
20歳位の大学生が、自律神経失調症で来院して来ました。
彼は、恋人との人間関係をうまく維持出来ないと訴えていました。
不眠、めまい、憂鬱、空虚感で一杯でした。
ひょっとしたらと聞いてみると、
やはり彼は、ある殺戮ゲームにハマっていました。
脳内の安らぎホルモンのメラトニンと、
意欲や自意識の脳内ホルモンのセロトニンと、
連帯と信頼の脳内ホルモンのオキシトシンの生成障害が考えられました。
その殺戮ゲームの中止と、食事指導、
頭蓋骨調整と脳脊髄液調整で、完全に蘇りました。
それから何年か経ちました。
そしてある日、世界一周の船旅で、
本当に一心同体になれる素晴らしい彼女をゲットしてきました。
自然農法の仕事も見つけ、
その彼女との、新婚旅行の前日。
とんでもないことが起こりました。
自然農法の大根を胸に抱いて、
彼は交差点で信号待ちで横断歩道の最前列に立っていました。
すると目の前で車が正面衝突し、
その一台がスピンして彼に向かって飛んで来たのです。
抱いていた大根がクッションになり、
何とか彼は一命を取り留めました。
しかし足腰と膝の痛みのためベッドから起きあがることはもちろん、
寝返りさえもうてませんでした。
めまいも激しく、起きあがると天井が舞います。
もちろん立つことも歩行も不能です。
実名をあげますが、入院したのは国立名古屋病院の外科です!
その主治医(実名をあげたい!)が、
入院して2日目のそんな彼に、退院指示を出しました。
その後で別の整形外科医が、彼の左の坐骨と恥骨の骨折を見つけました。
しかし主治医の退院指示は変わりませんでした。
見落としやミスを認めようとしない、こんな医者は断じて許せない!
「先生、僕はまだ歩けませんが。」
『たいしたこと無いから、通院して下さい。』
「アパートは階段だけの2階ですが、階段なんて昇れません。
タクシーにも電車にも乗れませんが、どうやって通院するんですか?」
『それはあなたが考えることです。』
このヒドイ医者、実名を書きたいですが、書いて良いですか?
この状態の時に、僕に彼から電話が有りました。
「先生、どうしたら良いでしょう?」
『明日すぐ行くから、待っとれ! 立って歩けるるようにしたる!』
翌日私は名古屋にすっ飛び、国立名古屋病院に乗り込みました。
私は全身全霊を傾け、ありったけのテクニックを使い、
ベッドに横たわったまま寝返りも起きあがりも出来ない彼を、
起きあがれる様になるまで1時間、
歩行器で立って歩ける様になるまでさらに1時間かかりました。
「うわあ、歩けるぞう!わっはっは!」
歩行器で彼は、看護婦詰め所の前を何度も往復しました。
しかし看護婦の反応は全て冷ややかでした。
どうやら私は、この病院と主治医の面目を潰した様です。
その後さらに2回、私は名古屋に治療に行きました。
そして元気になってくれました。
今、彼は自然農法関係の仕事をしています。
彼女とも、籍を入れたそうです。
時々その彼女と一緒に、大阪の私の診療所にもやって来ます。
ウチの事務員や看護婦さんたちにひやかされながら。
幻の新婚旅行、そろそろ行き直しなよ。
がんばれ桑田君!
2010年10月12日
第6話:死にたくない!と泣き崩れた乳癌患者
山下医院には抗癌剤は置いていません。
使ったことも有りません。
しかし癌患者は来られます。
私が自然医療や統合医療をしているからでもあり、
昔からの患者さんで、
私の”カリスマ”を知っている人も居ます。
当時50歳位であった彼女は、
別の病気で当院に通院していた事のある患者さんでした。
それはほぼ治ったので、少しご無沙汰でした。
近くの病院で乳癌の診断をされたとの事でした。
「先生、......私は死ぬんですか?
死にたくなーい! わーーン!」それはもう大変でした。
しかしこの人の反応は、誰でも本当はそう思う正直な態度でしょう。
たぶん私でも同じ気持ちになるでしょう。
では、何が何でも治してあげなくてはいけません。
私はまず、当時関西ではナンバーワンと思われる
乳癌のエキスパートに紹介状を書きました。
そこで確定診断と、手術をして頂きました。
もちろん抗癌剤は使わずに、放射線もあてずに。
また一方で来られたその日から、
私の開発したサプリメントと、
ステムズ社のフコイダンを飲んで頂いていました。
退院後から、発癌ウィルスを殺すハスミワクチンの手配もしました。
そして私の”手”による治療も毎週しました。
食生活の指導もしました。
生き方、考え方のアドバイスもしました。
そして確かに彼女は変わりました。努力もしました。
そして何より、私を信じてついてきてくれました。
10年経ったその日、私は「ひょーしょーじょー」と言って、
彼女の座っている前に立って、
カルテを(賞状の様に)ひろげて、
「あなたは、この難しい病気を、
本当に治そうと指示通りの努力をし、
私を信じ、心も体も変わりました。
そして乳癌を見事に克服治癒し、
生還されたことを、ここに評します。」
彼女も私も、抱き合って涙を流しました。
(気の小さい彼女は、その後も数年通院されましたが。)
みんながみんな、100%癌を治せるわけではありません。
残念な結果の方もおられます。
しかし大抵は、言うことを聞かなかった人達です。
みんなは初めて癌と闘うのです。
しかし僕は何度も闘ったことが有ります。
敵がどんなにしつこく、恐ろしいヤツなのか知っています。
だから出来るだけ私の言うことに耳を傾けて欲しい。
そうすれば、たぶん一番良い結果が来るから。
自然療法にこだわる人も居ます。
しかし、西洋医学が必要な時も有ります。
自然医療と巧みに組み合わせれば、結構良い成果が得られます。
私でなければ出来ないことも有ります。
要は勝てばいいのです。
私は手段は選びません。
私は一人間に過ぎませんから。
癌の場合は特にそうですが、
ウチは結構長いつきあいになったり、
家族みんなのつきあいになる事が多いです。
(急性の病気は、あっという間に終わりですが、
後日に何かあったらまた来られる事が多いです。)
そんな方が、万が一亡くなられたら、
こちらの心のダメージも大きいです。
ですから、もう私は一人も失いたくない。
もし死に神が私の前に立ちはだかったら、
そいつを踏み倒して進んで行きたい。
使ったことも有りません。
しかし癌患者は来られます。
私が自然医療や統合医療をしているからでもあり、
昔からの患者さんで、
私の”カリスマ”を知っている人も居ます。
当時50歳位であった彼女は、
別の病気で当院に通院していた事のある患者さんでした。
それはほぼ治ったので、少しご無沙汰でした。
近くの病院で乳癌の診断をされたとの事でした。
「先生、......私は死ぬんですか?
死にたくなーい! わーーン!」それはもう大変でした。
しかしこの人の反応は、誰でも本当はそう思う正直な態度でしょう。
たぶん私でも同じ気持ちになるでしょう。
では、何が何でも治してあげなくてはいけません。
私はまず、当時関西ではナンバーワンと思われる
乳癌のエキスパートに紹介状を書きました。
そこで確定診断と、手術をして頂きました。
もちろん抗癌剤は使わずに、放射線もあてずに。
また一方で来られたその日から、
私の開発したサプリメントと、
ステムズ社のフコイダンを飲んで頂いていました。
退院後から、発癌ウィルスを殺すハスミワクチンの手配もしました。
そして私の”手”による治療も毎週しました。
食生活の指導もしました。
生き方、考え方のアドバイスもしました。
そして確かに彼女は変わりました。努力もしました。
そして何より、私を信じてついてきてくれました。
10年経ったその日、私は「ひょーしょーじょー」と言って、
彼女の座っている前に立って、
カルテを(賞状の様に)ひろげて、
「あなたは、この難しい病気を、
本当に治そうと指示通りの努力をし、
私を信じ、心も体も変わりました。
そして乳癌を見事に克服治癒し、
生還されたことを、ここに評します。」
彼女も私も、抱き合って涙を流しました。
(気の小さい彼女は、その後も数年通院されましたが。)
みんながみんな、100%癌を治せるわけではありません。
残念な結果の方もおられます。
しかし大抵は、言うことを聞かなかった人達です。
みんなは初めて癌と闘うのです。
しかし僕は何度も闘ったことが有ります。
敵がどんなにしつこく、恐ろしいヤツなのか知っています。
だから出来るだけ私の言うことに耳を傾けて欲しい。
そうすれば、たぶん一番良い結果が来るから。
自然療法にこだわる人も居ます。
しかし、西洋医学が必要な時も有ります。
自然医療と巧みに組み合わせれば、結構良い成果が得られます。
私でなければ出来ないことも有ります。
要は勝てばいいのです。
私は手段は選びません。
私は一人間に過ぎませんから。
癌の場合は特にそうですが、
ウチは結構長いつきあいになったり、
家族みんなのつきあいになる事が多いです。
(急性の病気は、あっという間に終わりですが、
後日に何かあったらまた来られる事が多いです。)
そんな方が、万が一亡くなられたら、
こちらの心のダメージも大きいです。
ですから、もう私は一人も失いたくない。
もし死に神が私の前に立ちはだかったら、
そいつを踏み倒して進んで行きたい。
2010年10月07日
癌自然療法
当院には、睡眠薬精神安定剤はもちろん、
抗癌剤も置いていません。
しかし、不眠症もうつ病も、癌も治療しています。
不眠症も、うつ病も、癌も、
その治癒率はどこにも負けないと思っています。
本当に困った時、僕を思い出して下さい。
僕はいつも、僕がして貰いたい事を、
あなたにしてあげたいと思うから。
抗癌剤も置いていません。
しかし、不眠症もうつ病も、癌も治療しています。
不眠症も、うつ病も、癌も、
その治癒率はどこにも負けないと思っています。
本当に困った時、僕を思い出して下さい。
僕はいつも、僕がして貰いたい事を、
あなたにしてあげたいと思うから。
2010年10月06日
第5話:沖縄の薬漬うつ病患者を救え!
先月の9月18日に、沖縄で統合医療、自然医療について
講演しましたが、その講演を聞かれた方が、
娘さんをつれて来診されました。
うつ病とのことで、ものすごい数の精神安定剤と睡眠剤を
投与されていました。ビックリ。
数年前まで、ご主人と一緒に、
夜遅くまでコンピューター関係の仕事をされていたそうです。
2年ほど前に、突然何もできなくなって、心療内科を受診し、
大量の薬を処方され、飲んでいるウチに、
本当に何も出来なくなってしまったそうです。
見た瞬間にわかりましたが、
ストレスを解消するために甘い物に走り、砂糖中毒になっています。
これでは脳は、今まで我慢できていたものが、我慢や辛抱できなくなってしまいます。
さらに、コンピューターの無線LANに匹敵する、無線受診発信装置にあたる、
松果体の障害があります。
これがダメになると、脳内モルヒネにあたる
安らぎホルモンのメラトニンが分泌出来なくなってしまいます。
そうなると夜眠れなくなるだけでなく、
コンピューター画面を見続けると、
てんかん様発作やパニック症状を引き起こし、精神のバランスを崩します。
こんな時に一番の助けになるのが愛のエネルギーなのですが、
このときに相手から十分な愛や満足が得られないと、
一種のヒステリー症状ですが、
相手の気を引くために自分自身を壊してしまい、倒れて病気になるのです。
この時相手に余裕がない場合、相手はお荷物にしか感じないもので、
事態は悪い方にしか向かいません。
その上、精神安定剤や睡眠剤は、活動している脳細胞を破壊するので、
連用によって、何も出来ない人生の落伍者を作ってしまうのです。
一旦こうなると麻薬と同じで離脱出来ないようになっていて、
やめるとしんどくなるので、永久に精神安定剤睡眠剤中毒患者になってしまうのです。
この患者さんも、完全にこのケースでした。
まず朝、パンでなく、お米のご飯を食べる様に指示しました。
インシュリンの分泌タイミングが遅い、農耕民族である日本人は、
朝6時から10時までの朝食に、お米のご飯を食べないと砂糖中毒になりやすくなります。
それから初日と二日目で、後頭骨と前頭骨と蝶形骨の歪みを直し、
硬膜のひずみと脳脊髄液環流異常を直し、松果体の防衛機構を修復しました。
これでコンピューター画面や異常な光フラッシュを見ても、
精神に異常は来しません。
経絡を流れる気の乱れも治しました。
彼女の場合、胆系と大腸系が乱れていました。
それから、精神安定剤類を一つ一つ、どの順番でどのテンポで減量していって
次第にやめていくか、そのスケジュールを指示しました。
そしてそのかわり、天然型メラトニンのサプリメントを処方しました。
「あなたが倒れたのは、ご主人にもっと自分を守って貰いたかったという
深層心理が働いたと考えられます。これがヒステリーという病気です。
けどね、親との絆の緑の糸は引っ張っても切れないけれど、
愛する人との絆の赤い糸は引っ張ったら切れるんですよ。」
そう話しているウチに、彼女の目に涙が浮かんできました。
(途中略)
「あなたにとって一番必要な人、大切な人、愛をもらいたい人の、
ご主人に、『ごめんなさい。あなたをちゃんと支えられなくてごめんね。
一緒に何を育てて行かなきゃいけなかったのか、
あなたが何をして欲しかったのか、
見失っててごめんなさい。
これから頑張るから、許してね。』って、貴女なりの言葉であやまってごらん。
きっとスッキリするよ。
あなたの病気を本当に治せるのは、ご主人しか居ないんだから。」
(江原啓之みたい?)
彼女に憑いていた”何か”がポロっと取れたのがわかりました。
彼女は晴れやかな笑顔で、二日目の診療を終えて帰って行かれました。
明日もう一回診て、あさって沖縄に帰られます。
昨日の初診で見た、彼女の幽霊の様な顔を知っている受付の事務員が、
目に光が戻って別人の様な落ち着いた笑顔の彼女を見て、ビックリしていました。
「先生、メッチャ良うなってるやん。良かったねエ~っ!」
(良かったんだけど、もうちょっと尊敬してくれても良いんじゃないかな~っっと、
密かに思う山下医師であった。) 続く
講演しましたが、その講演を聞かれた方が、
娘さんをつれて来診されました。
うつ病とのことで、ものすごい数の精神安定剤と睡眠剤を
投与されていました。ビックリ。
数年前まで、ご主人と一緒に、
夜遅くまでコンピューター関係の仕事をされていたそうです。
2年ほど前に、突然何もできなくなって、心療内科を受診し、
大量の薬を処方され、飲んでいるウチに、
本当に何も出来なくなってしまったそうです。
見た瞬間にわかりましたが、
ストレスを解消するために甘い物に走り、砂糖中毒になっています。
これでは脳は、今まで我慢できていたものが、我慢や辛抱できなくなってしまいます。
さらに、コンピューターの無線LANに匹敵する、無線受診発信装置にあたる、
松果体の障害があります。
これがダメになると、脳内モルヒネにあたる
安らぎホルモンのメラトニンが分泌出来なくなってしまいます。
そうなると夜眠れなくなるだけでなく、
コンピューター画面を見続けると、
てんかん様発作やパニック症状を引き起こし、精神のバランスを崩します。
こんな時に一番の助けになるのが愛のエネルギーなのですが、
このときに相手から十分な愛や満足が得られないと、
一種のヒステリー症状ですが、
相手の気を引くために自分自身を壊してしまい、倒れて病気になるのです。
この時相手に余裕がない場合、相手はお荷物にしか感じないもので、
事態は悪い方にしか向かいません。
その上、精神安定剤や睡眠剤は、活動している脳細胞を破壊するので、
連用によって、何も出来ない人生の落伍者を作ってしまうのです。
一旦こうなると麻薬と同じで離脱出来ないようになっていて、
やめるとしんどくなるので、永久に精神安定剤睡眠剤中毒患者になってしまうのです。
この患者さんも、完全にこのケースでした。
まず朝、パンでなく、お米のご飯を食べる様に指示しました。
インシュリンの分泌タイミングが遅い、農耕民族である日本人は、
朝6時から10時までの朝食に、お米のご飯を食べないと砂糖中毒になりやすくなります。
それから初日と二日目で、後頭骨と前頭骨と蝶形骨の歪みを直し、
硬膜のひずみと脳脊髄液環流異常を直し、松果体の防衛機構を修復しました。
これでコンピューター画面や異常な光フラッシュを見ても、
精神に異常は来しません。
経絡を流れる気の乱れも治しました。
彼女の場合、胆系と大腸系が乱れていました。
それから、精神安定剤類を一つ一つ、どの順番でどのテンポで減量していって
次第にやめていくか、そのスケジュールを指示しました。
そしてそのかわり、天然型メラトニンのサプリメントを処方しました。
「あなたが倒れたのは、ご主人にもっと自分を守って貰いたかったという
深層心理が働いたと考えられます。これがヒステリーという病気です。
けどね、親との絆の緑の糸は引っ張っても切れないけれど、
愛する人との絆の赤い糸は引っ張ったら切れるんですよ。」
そう話しているウチに、彼女の目に涙が浮かんできました。
(途中略)
「あなたにとって一番必要な人、大切な人、愛をもらいたい人の、
ご主人に、『ごめんなさい。あなたをちゃんと支えられなくてごめんね。
一緒に何を育てて行かなきゃいけなかったのか、
あなたが何をして欲しかったのか、
見失っててごめんなさい。
これから頑張るから、許してね。』って、貴女なりの言葉であやまってごらん。
きっとスッキリするよ。
あなたの病気を本当に治せるのは、ご主人しか居ないんだから。」
(江原啓之みたい?)
彼女に憑いていた”何か”がポロっと取れたのがわかりました。
彼女は晴れやかな笑顔で、二日目の診療を終えて帰って行かれました。
明日もう一回診て、あさって沖縄に帰られます。
昨日の初診で見た、彼女の幽霊の様な顔を知っている受付の事務員が、
目に光が戻って別人の様な落ち着いた笑顔の彼女を見て、ビックリしていました。
「先生、メッチャ良うなってるやん。良かったねエ~っ!」
(良かったんだけど、もうちょっと尊敬してくれても良いんじゃないかな~っっと、
密かに思う山下医師であった。) 続く
2010年10月05日
今年のインフルエンザワクチンについて
今年のインフルエンザのワクチンだけは、
絶対に受けておいて下さいね。
上海万博が終わってから、
致死率の高い新型インフルエンザが、
中国から流行する可能性が有ります。
これは、すでに1999年に僕が書いた、
「大地からの最終警告」(たま出版)にも掲載しました。
おそらく、鳥から感染するインフルエンザについて
日本で書かれた最初の書物だと思います。
水鳥は決してインフルエンザが発病しません。
寒い北国の冬の湖に、脚をボチャンと浸けて泳ぎ回って、
イチイチ風邪をひいていては水鳥なんてやってられません。
絶滅してしまいます。
彼らは、特別な免疫システムを持っているのです。
その水鳥の一種の合鴨の厩舎が、香港の九龍半島の奥にあります。
そこに毎年秋に、ある国のある会社から無料で飼料が送られてきます。
中国人は、無料なら喜んでそれを使います。
その飼料の中に、インフルエンザウィルスのタネが入っているとしたら?
水鳥は風邪をひきませんから、ウィルスは合鴨の腸の中で繁殖します。
そしてウンコになって体外に出るだけです。
そのすぐ横に、豚の厩舎があります。
風に乗って運ばれてくるウィルスを吸い込んで、
豚は風邪をひきます。豚が風邪をひくと、人間に感染します。
そこで一句。 『ホンコン(コンコン)と 豚が風邪ひきゃ 人もひく』
そうして毎年秋から冬に、香港から風邪やインフルエンザがはやるのです。
これは、おそらくある国の実験なのでしょう。
いざというとき、どれくらいでどの範囲まで、
呼吸器生物兵器が蔓延するのかと言う。
その目的は、最終的な敵である中国を潰すための用意でしょう。
中国の上海万博の終わりで、そろそろそれが行われるかも知れません。
その前後、北朝鮮の崩壊か、戦争がおこると考えます。
そうなると、日本潰しも併発します。
その準備が、ビッグバンと、ペイオフと郵政民営化です。
郵政民営化とビッグバン(海外投資の無税化)で、
日本の最後の資産がすでに海外に出てしまいました(知ってました?)。
ペイオフで、アメリカの銀行の計画倒産のあおりを食っても、
1000万円迄しか資産補償されません。
しかもそのころ、東京で大地震が有るでしょう、
神戸でリハーサルされた様に。
これが日本潰しです。
ちなみに口蹄疫も、豚インフルエンザも、鶏の鳥インフルエンザも、
おそらくこの配合飼料に仕掛けがあると僕は考えます。
だいいち、呼吸器感染症のはずの(鳥)インフルエンザ、
厩舎で全滅していますが、
鶏がセキしてるのを、見たことがあります?
絶対に受けておいて下さいね。
上海万博が終わってから、
致死率の高い新型インフルエンザが、
中国から流行する可能性が有ります。
これは、すでに1999年に僕が書いた、
「大地からの最終警告」(たま出版)にも掲載しました。
おそらく、鳥から感染するインフルエンザについて
日本で書かれた最初の書物だと思います。
水鳥は決してインフルエンザが発病しません。
寒い北国の冬の湖に、脚をボチャンと浸けて泳ぎ回って、
イチイチ風邪をひいていては水鳥なんてやってられません。
絶滅してしまいます。
彼らは、特別な免疫システムを持っているのです。
その水鳥の一種の合鴨の厩舎が、香港の九龍半島の奥にあります。
そこに毎年秋に、ある国のある会社から無料で飼料が送られてきます。
中国人は、無料なら喜んでそれを使います。
その飼料の中に、インフルエンザウィルスのタネが入っているとしたら?
水鳥は風邪をひきませんから、ウィルスは合鴨の腸の中で繁殖します。
そしてウンコになって体外に出るだけです。
そのすぐ横に、豚の厩舎があります。
風に乗って運ばれてくるウィルスを吸い込んで、
豚は風邪をひきます。豚が風邪をひくと、人間に感染します。
そこで一句。 『ホンコン(コンコン)と 豚が風邪ひきゃ 人もひく』
そうして毎年秋から冬に、香港から風邪やインフルエンザがはやるのです。
これは、おそらくある国の実験なのでしょう。
いざというとき、どれくらいでどの範囲まで、
呼吸器生物兵器が蔓延するのかと言う。
その目的は、最終的な敵である中国を潰すための用意でしょう。
中国の上海万博の終わりで、そろそろそれが行われるかも知れません。
その前後、北朝鮮の崩壊か、戦争がおこると考えます。
そうなると、日本潰しも併発します。
その準備が、ビッグバンと、ペイオフと郵政民営化です。
郵政民営化とビッグバン(海外投資の無税化)で、
日本の最後の資産がすでに海外に出てしまいました(知ってました?)。
ペイオフで、アメリカの銀行の計画倒産のあおりを食っても、
1000万円迄しか資産補償されません。
しかもそのころ、東京で大地震が有るでしょう、
神戸でリハーサルされた様に。
これが日本潰しです。
ちなみに口蹄疫も、豚インフルエンザも、鶏の鳥インフルエンザも、
おそらくこの配合飼料に仕掛けがあると僕は考えます。
だいいち、呼吸器感染症のはずの(鳥)インフルエンザ、
厩舎で全滅していますが、
鶏がセキしてるのを、見たことがあります?
2010年10月02日
第4話:けなげに明るく生きる脳性マヒの女性
僕は部外者なのですが、
十次式健康普及会の創始者の
阿久津政人先生に気に入ってもらって、
十次式治療法を伝授してもらいました。
十次式指定医療機関と言う肩書きも頂きました。
まだ若かった僕に、
医者の立場から、阿久津先生の開発された
十次式気功治療法を世に伝え、
普及して貰いたいと言って頂きました。
阿久津先生はもう70歳を遙かに超え、
故郷の北海道足寄に戻って引退されましたが、
その熱い癒しの心はしっかり受け継いでいるつもりです。
その十次式健康普及会大阪会場からの紹介で、
10年くらい前に来診された、脳性マヒの女性がいました。
ウチは結構長いつきあいになったり、
家族ぐるみのおつきあいになることが多いのですが、
彼女もその一人です。
初めはもちろん、まともに歩くこともままならない状態でした。
今はもちろん普通に歩けます!
とっても絵がうまく、詩人でもあります。
でも話はまだちょっと不自由です。
コンピューターは上手で、時々メールして来てくれます。
今日、久しぶりにメールしてきてくれました。
『先生へ。 ご無沙汰して本当にすみません 。
郵送の薬代の未払いのツケも気になって居るのですが、
金欠でなかなか行けなかったり、
行こうと思った日は予約がいっぱいだったりで、
行きそびれてしまっていてごめんなさい。
先生の所には身体もしんどいし行きたいと思っているので、
怒らないで待ってて下さい 。 まり 』
早速メールを返しました。
「みんな不景気で、大変です。
僕とて同じ。
早くみんなが安心して暮らせる状態を作ろうと必死です。
僕と僕の家族も、僕の仲間も。
そしてマリちゃんや、他にも集めたい人達が居て、
いつか安心して暮らせて働ける環境と会社を作りたい、
そんなことを考えています。
自分自身だってままならないくせに。
けどね、いつかそんなユメの日が来るように本気で頑張ります。
万が一動けなかったり、本当に困ったときにはメール下さいね。」
障害を持っていても、たとえ今は思い通りに行かなくても、
自分らしさを失わず明るくけなげに生きる彼女に、
幸あれと思う。心から願う。
僕はもう、彼女を主人公とした人生物語の、名脇役のつもりです。
十次式健康普及会の創始者の
阿久津政人先生に気に入ってもらって、
十次式治療法を伝授してもらいました。
十次式指定医療機関と言う肩書きも頂きました。
まだ若かった僕に、
医者の立場から、阿久津先生の開発された
十次式気功治療法を世に伝え、
普及して貰いたいと言って頂きました。
阿久津先生はもう70歳を遙かに超え、
故郷の北海道足寄に戻って引退されましたが、
その熱い癒しの心はしっかり受け継いでいるつもりです。
その十次式健康普及会大阪会場からの紹介で、
10年くらい前に来診された、脳性マヒの女性がいました。
ウチは結構長いつきあいになったり、
家族ぐるみのおつきあいになることが多いのですが、
彼女もその一人です。
初めはもちろん、まともに歩くこともままならない状態でした。
今はもちろん普通に歩けます!
とっても絵がうまく、詩人でもあります。
でも話はまだちょっと不自由です。
コンピューターは上手で、時々メールして来てくれます。
今日、久しぶりにメールしてきてくれました。
『先生へ。 ご無沙汰して本当にすみません 。
郵送の薬代の未払いのツケも気になって居るのですが、
金欠でなかなか行けなかったり、
行こうと思った日は予約がいっぱいだったりで、
行きそびれてしまっていてごめんなさい。
先生の所には身体もしんどいし行きたいと思っているので、
怒らないで待ってて下さい 。 まり 』
早速メールを返しました。
「みんな不景気で、大変です。
僕とて同じ。
早くみんなが安心して暮らせる状態を作ろうと必死です。
僕と僕の家族も、僕の仲間も。
そしてマリちゃんや、他にも集めたい人達が居て、
いつか安心して暮らせて働ける環境と会社を作りたい、
そんなことを考えています。
自分自身だってままならないくせに。
けどね、いつかそんなユメの日が来るように本気で頑張ります。
万が一動けなかったり、本当に困ったときにはメール下さいね。」
障害を持っていても、たとえ今は思い通りに行かなくても、
自分らしさを失わず明るくけなげに生きる彼女に、
幸あれと思う。心から願う。
僕はもう、彼女を主人公とした人生物語の、名脇役のつもりです。
2010年10月01日
T-BOLAN森友嵐士を誰か知りませんか?
今日、金スマで、声を失った
T-BOLANのヴォーカル森友嵐士(もりともあらし)
の物語をやっていました。
心因性発声障害とか言う診断を下されたとか。
結局、治らないという診断のために通院したのか
という彼の話がありました。
でもね、違いますよ!
彼は後頭骨の歪みが必ず有るはずです。
そして小脳機能障害があります。
その証拠に、ヴォイストレーナーの先生が、
右手をあげたままアーと言う声を出しながら歩いて見てごらん
と言われて、その簡単な事が出来ない自分に愕然としています。
それこそが、小脳機能障害の所見です!
小脳は、調和がとれた体の動きの中枢です。
話は出来るのに、歌は歌えない。
心で思ったことの、横隔膜への信号が出ていないのです。
普段の会話は、横隔膜の強い動きは必要有りませんから。
その証拠に、10年ぶりの歌声という彼の歌には、
往年の腹から出ている心の声がこもっていませんでした。
一見うまそうに聞こえますが、僕の耳はごまかせない。
どちらかの後頭骨の歪みを治して、
吸気か呼気かでロックしている硬膜緊張を治せば、
頑張らなくても、自然に元の声が出せます!
誰か、この事を森友さんにおしえてあげて下さい。
これは、優勝したヨーロッパ出身大関のケースと同じです。
2年前、その関取は3月の大阪場所で連敗して途中休場したのを
憶えてらっしゃいますか?
あの後、S部屋の羽曳野のきゅう舎のお寺の住職が
たまたま僕の知り合いだったので、彼を山下医院に連れてきて貰いました。
3回治療しましたが、その次の5月の夏場所で彼が初優勝したのを
憶えていらっしゃる方は多いと思います。
.......しかし、その後一回も治療していないので、
白鵬に勝ったのは、その場所だけだったですが。
彼には元々別に主治医が居て、その人が余り僕の事を面白く思っていないようです。
その話は置いといて、T-BOLANの森友さん、
体調不良のナインティーンナインの岡村さん、
もし知っている人がいたら、ぜひ僕に知らせて下さい。
二人ともその関取と同じように、
日本の文化のために必要な人だから。
T-BOLANのヴォーカル森友嵐士(もりともあらし)
の物語をやっていました。
心因性発声障害とか言う診断を下されたとか。
結局、治らないという診断のために通院したのか
という彼の話がありました。
でもね、違いますよ!
彼は後頭骨の歪みが必ず有るはずです。
そして小脳機能障害があります。
その証拠に、ヴォイストレーナーの先生が、
右手をあげたままアーと言う声を出しながら歩いて見てごらん
と言われて、その簡単な事が出来ない自分に愕然としています。
それこそが、小脳機能障害の所見です!
小脳は、調和がとれた体の動きの中枢です。
話は出来るのに、歌は歌えない。
心で思ったことの、横隔膜への信号が出ていないのです。
普段の会話は、横隔膜の強い動きは必要有りませんから。
その証拠に、10年ぶりの歌声という彼の歌には、
往年の腹から出ている心の声がこもっていませんでした。
一見うまそうに聞こえますが、僕の耳はごまかせない。
どちらかの後頭骨の歪みを治して、
吸気か呼気かでロックしている硬膜緊張を治せば、
頑張らなくても、自然に元の声が出せます!
誰か、この事を森友さんにおしえてあげて下さい。
これは、優勝したヨーロッパ出身大関のケースと同じです。
2年前、その関取は3月の大阪場所で連敗して途中休場したのを
憶えてらっしゃいますか?
あの後、S部屋の羽曳野のきゅう舎のお寺の住職が
たまたま僕の知り合いだったので、彼を山下医院に連れてきて貰いました。
3回治療しましたが、その次の5月の夏場所で彼が初優勝したのを
憶えていらっしゃる方は多いと思います。
.......しかし、その後一回も治療していないので、
白鵬に勝ったのは、その場所だけだったですが。
彼には元々別に主治医が居て、その人が余り僕の事を面白く思っていないようです。
その話は置いといて、T-BOLANの森友さん、
体調不良のナインティーンナインの岡村さん、
もし知っている人がいたら、ぜひ僕に知らせて下さい。
二人ともその関取と同じように、
日本の文化のために必要な人だから。
2010年10月01日
第3話:意地でも治した坐骨神経痛
ある日、大きな体の青年が友人に抱えられて受診してきました。
左の腰から足にかけての激しい痛みで、
自力では2メートルも歩けないとのこと。
レントゲンを撮ってみると、第4腰椎が右下に歪んでいました。
痛い方の反対側に腰椎が倒れている場合、
腰椎椎間板ヘルニアが痛みの主役では無い事が多いです。
お尻の部分、股関節の後ろで、梨状筋と言う筋肉が、
坐骨神経を挟み込んで締め付けている事が多いです。
つまりいわゆる坐骨神経と言うものです。
この場合、症状が大きい割には、
SOTO(ステップアウトターンアウト)テクニックで
劇的に治る事が多いのです。
但し何度も根気よく治療しなければならない場合も有ります。
しかもこの患者さんの場合、
左股関節が最初から外向きに変位していましたから、
初診でこのテクニックを使うのをためらってしまいました。
案の定うまくは治らず、2回目の予約日に来診して来られませんでした。
その夜、彼から電話が有りました。
「友達からも勧められとるし、整形外科の先生からも
手術せいと言われとるんで、手術しようと思っとる。」と。
私は『あなたの足腰の痛みは、腰椎椎間板ヘルニアが
主な原因じゃないと思う。
手術は、どうしてもダメな場合の最後の手段にして欲しい。
いま手術しても思うようには症状は取れないと思います。
一旦手術してしまうと、もう元の体には戻りませんよ。
まだ若いし、あなたの人生を変えてしまうと思います。
どうかもう一度だけでも、私に治療させて下さい。』と言いました。
彼は居酒屋で料理人をしていて、もう1ヶ月近く休職していました。
「ウチから一歩も出れんから、通院でけへんで。
ホンマに治るんやろな。治らへんかったらお前責任取れよ!」
こういう場合、一歩も引かないのは私の欠点だと思います。
『よしわかった。治らんかったらどうにでもせい。
これから毎日、治療に行ったる。一回1000円や。
但し条件がある。
俺に敬語を使え。
それから、治って仕事出来るようになったら、ビールを一杯おごれ!』
阪神高速代金が700円、往復1400円かかるので、実は赤字です。
しかも5000円の治療自費は無し。我ながら、無茶な約束をしたものです。
朝9時から夜9時まで仕事をして、その後に往診です。
毎日通いましたが、外に出て歩けるようになるまで、2ヶ月近くかかりました。
歩行訓練ですが、夜に男二人で手をつないで近所をウロウロしている姿は、
周りからどんな目で見られていたか心配です(笑)。
腰痛の原因になっていたのは、リビングのふかふかのソファーと、
軽自動車の座席でした。
ソファーの改造と、座席のランバーサポート取り付けまでやりました。
彼は手術無しで治ったのです!
仕事に復帰し、今では松原市の近鉄松原の駅の近くに、
独立して居酒屋を始めました。
山下医院から自宅への帰り道の反対方向ですし、
飲酒運転になってしまうのでなかなか行けず、
約束のビールは、まだ奢って貰っていません。
左の腰から足にかけての激しい痛みで、
自力では2メートルも歩けないとのこと。
レントゲンを撮ってみると、第4腰椎が右下に歪んでいました。
痛い方の反対側に腰椎が倒れている場合、
腰椎椎間板ヘルニアが痛みの主役では無い事が多いです。
お尻の部分、股関節の後ろで、梨状筋と言う筋肉が、
坐骨神経を挟み込んで締め付けている事が多いです。
つまりいわゆる坐骨神経と言うものです。
この場合、症状が大きい割には、
SOTO(ステップアウトターンアウト)テクニックで
劇的に治る事が多いのです。
但し何度も根気よく治療しなければならない場合も有ります。
しかもこの患者さんの場合、
左股関節が最初から外向きに変位していましたから、
初診でこのテクニックを使うのをためらってしまいました。
案の定うまくは治らず、2回目の予約日に来診して来られませんでした。
その夜、彼から電話が有りました。
「友達からも勧められとるし、整形外科の先生からも
手術せいと言われとるんで、手術しようと思っとる。」と。
私は『あなたの足腰の痛みは、腰椎椎間板ヘルニアが
主な原因じゃないと思う。
手術は、どうしてもダメな場合の最後の手段にして欲しい。
いま手術しても思うようには症状は取れないと思います。
一旦手術してしまうと、もう元の体には戻りませんよ。
まだ若いし、あなたの人生を変えてしまうと思います。
どうかもう一度だけでも、私に治療させて下さい。』と言いました。
彼は居酒屋で料理人をしていて、もう1ヶ月近く休職していました。
「ウチから一歩も出れんから、通院でけへんで。
ホンマに治るんやろな。治らへんかったらお前責任取れよ!」
こういう場合、一歩も引かないのは私の欠点だと思います。
『よしわかった。治らんかったらどうにでもせい。
これから毎日、治療に行ったる。一回1000円や。
但し条件がある。
俺に敬語を使え。
それから、治って仕事出来るようになったら、ビールを一杯おごれ!』
阪神高速代金が700円、往復1400円かかるので、実は赤字です。
しかも5000円の治療自費は無し。我ながら、無茶な約束をしたものです。
朝9時から夜9時まで仕事をして、その後に往診です。
毎日通いましたが、外に出て歩けるようになるまで、2ヶ月近くかかりました。
歩行訓練ですが、夜に男二人で手をつないで近所をウロウロしている姿は、
周りからどんな目で見られていたか心配です(笑)。
腰痛の原因になっていたのは、リビングのふかふかのソファーと、
軽自動車の座席でした。
ソファーの改造と、座席のランバーサポート取り付けまでやりました。
彼は手術無しで治ったのです!
仕事に復帰し、今では松原市の近鉄松原の駅の近くに、
独立して居酒屋を始めました。
山下医院から自宅への帰り道の反対方向ですし、
飲酒運転になってしまうのでなかなか行けず、
約束のビールは、まだ奢って貰っていません。
2010年09月29日
第2話:リウマチで歩けなかった30代主婦
3年ほど前のことでした。
30歳代の女性が、お母さんに抱えられるようにして来診されました。
20歳代でリウマチが発症し、今では杖無しでは歩けないとの事。
診察台に寝てもらっても、右膝が大きく曲がったままで
伸ばすことが出来ず、痛くて寝返りも打てない状態でした。
早速オステオパシーと操体法というテクニックで
関節自身と、周囲の靱帯、筋肉を治し、
リンパマッサージで滞ったリンパ液を環流させました。
そして私が開発したサプリメントを服用してもらいました。
そのサプリメントは、ある偶然から開発したものです。
以前に、私は成長期を過ぎても身長が伸びる座薬を開発しようと、
うちの患者さん達に協力してもらって、
腸内細菌の検査をしていました。
その時偶然に、リウマチの患者さんだけに高率に
腸の中から(便から)カンジダ菌(カビの一種)が検出されたのです。
その時にあることに気づきました。
「そうか! リウマチは、関節は犯人じゃなくて被害者なんだ!」と。
同時多発犯人(多発性関節変形と炎症)ではなく、犯人は一つのはず。
それが”腸内のカンジダ菌感染”だったのです。
原因は、農薬、除草剤、防腐剤、その他の化学物質が口から入ったこと。
それによって腸内細菌が死ぬのです。
主が居なくなった大腸に、
胃液を胞子によってくぐり抜けてきたカビ菌が繁殖するのです。
カビ菌(カンジダ)の出す毒素を腸から吸収し、それが全身に回ろうとします。
それを阻止するために免疫システムが抗体となって、
その毒素を焼き切ろうとします。
そのくすぶったカス(残骸)が、そのまま腎臓を通すと腎臓が壊れるので、
弱点の関節に不法投棄されるのです。
軟骨は腐食に弱いので免疫の活性酸素でやられ、
関節の軟骨が壊滅していくのです。
大学で習ったリウマチの病理とは全く違いますが、私は「これだ!」と思いました。
私の中で学生の頃から疑問だった、
『リウマチは、何故同時に多発的に関節が変形し炎症が進むのか?』
という疑問が解けました。
そこで私は、ラフィノースという、
腸内でカンジダ菌の生えない環境を作るオリゴ糖に着目しました。
それから、腸内善玉菌のタネと食物繊維。
軟骨の原料のコンドロイチン、グルコサミン、MSM、
さらにそれを関節まで運ぶ”運び屋酵素”。
これらを配合して、リウマチや変形性関節症を治すサプリメントを作りました。
それが山下医院で患者に使う『MSM関節サポートⅩⅡ』です。
12と言うことは12回目の試作品と言うことですが、
実際は17回作り直しました。
とてつもない労力と時間と経費がかかりました。
もちろん奥さんにツノが生えましたし、
サプリメントの製作を請け負ってくれた製薬会社もネを上げました。
そこの社長さんから、「山下先生は、決して妥協しない人ですね。」
と言われました。 お褒めの言葉か、ヒニクか、悲鳴か、わかりませんが。
しかしとにかく、グングン患者さんは良くなり、
自力でスタスタ歩けるようになって、寝ても膝は真っ直ぐ伸びるようになり、
さらに、子供さんの運動会に参加して走れるようになりました!
高かったリウマチ因子の値も正常値になりました。
もう普通の人になっておられますが、
定期点検と健康管理のために、1ヶ月に一度くらいは、
まだ顔を見せて頂いています。
「私は今が青春なんです。」と明るい笑顔を見ると、
こちらも何だか一日が楽しく感じてきます。
ちなみにこのサプリメント「MSMー12」は、
健康食品の認可を得ていますので、どなたでもお買い求めは出来ます。
但し私は販売業者ではありませんので、
今のところ、山下医院でしかお渡ししていません。
FAX06-6645-7084
30歳代の女性が、お母さんに抱えられるようにして来診されました。
20歳代でリウマチが発症し、今では杖無しでは歩けないとの事。
診察台に寝てもらっても、右膝が大きく曲がったままで
伸ばすことが出来ず、痛くて寝返りも打てない状態でした。
早速オステオパシーと操体法というテクニックで
関節自身と、周囲の靱帯、筋肉を治し、
リンパマッサージで滞ったリンパ液を環流させました。
そして私が開発したサプリメントを服用してもらいました。
そのサプリメントは、ある偶然から開発したものです。
以前に、私は成長期を過ぎても身長が伸びる座薬を開発しようと、
うちの患者さん達に協力してもらって、
腸内細菌の検査をしていました。
その時偶然に、リウマチの患者さんだけに高率に
腸の中から(便から)カンジダ菌(カビの一種)が検出されたのです。
その時にあることに気づきました。
「そうか! リウマチは、関節は犯人じゃなくて被害者なんだ!」と。
同時多発犯人(多発性関節変形と炎症)ではなく、犯人は一つのはず。
それが”腸内のカンジダ菌感染”だったのです。
原因は、農薬、除草剤、防腐剤、その他の化学物質が口から入ったこと。
それによって腸内細菌が死ぬのです。
主が居なくなった大腸に、
胃液を胞子によってくぐり抜けてきたカビ菌が繁殖するのです。
カビ菌(カンジダ)の出す毒素を腸から吸収し、それが全身に回ろうとします。
それを阻止するために免疫システムが抗体となって、
その毒素を焼き切ろうとします。
そのくすぶったカス(残骸)が、そのまま腎臓を通すと腎臓が壊れるので、
弱点の関節に不法投棄されるのです。
軟骨は腐食に弱いので免疫の活性酸素でやられ、
関節の軟骨が壊滅していくのです。
大学で習ったリウマチの病理とは全く違いますが、私は「これだ!」と思いました。
私の中で学生の頃から疑問だった、
『リウマチは、何故同時に多発的に関節が変形し炎症が進むのか?』
という疑問が解けました。
そこで私は、ラフィノースという、
腸内でカンジダ菌の生えない環境を作るオリゴ糖に着目しました。
それから、腸内善玉菌のタネと食物繊維。
軟骨の原料のコンドロイチン、グルコサミン、MSM、
さらにそれを関節まで運ぶ”運び屋酵素”。
これらを配合して、リウマチや変形性関節症を治すサプリメントを作りました。
それが山下医院で患者に使う『MSM関節サポートⅩⅡ』です。
12と言うことは12回目の試作品と言うことですが、
実際は17回作り直しました。
とてつもない労力と時間と経費がかかりました。
もちろん奥さんにツノが生えましたし、
サプリメントの製作を請け負ってくれた製薬会社もネを上げました。
そこの社長さんから、「山下先生は、決して妥協しない人ですね。」
と言われました。 お褒めの言葉か、ヒニクか、悲鳴か、わかりませんが。
しかしとにかく、グングン患者さんは良くなり、
自力でスタスタ歩けるようになって、寝ても膝は真っ直ぐ伸びるようになり、
さらに、子供さんの運動会に参加して走れるようになりました!
高かったリウマチ因子の値も正常値になりました。
もう普通の人になっておられますが、
定期点検と健康管理のために、1ヶ月に一度くらいは、
まだ顔を見せて頂いています。
「私は今が青春なんです。」と明るい笑顔を見ると、
こちらも何だか一日が楽しく感じてきます。
ちなみにこのサプリメント「MSMー12」は、
健康食品の認可を得ていますので、どなたでもお買い求めは出来ます。
但し私は販売業者ではありませんので、
今のところ、山下医院でしかお渡ししていません。
FAX06-6645-7084
2010年09月26日
基本的な治療指針
人の心と手が、最高の治療器具だと思います。
勿論私は西洋医学を否定する者ではありません。
”それだけでは足りない”と思っているのです。
そして何より、まず患者さんの訴えをちゃんとしっかり聞こうと思います。
患者さんはちゃんと、『答え』を言ってくれているものだからです。
西洋医学だけを振り回すと、
難しすぎる訴えを聞くと「そんなはずはない。」と否定してしまいがちです。
人間の体に起こっている千差万別の問題は、
一つの学問体系だけではとうてい説明でき解決出来る物ではありません。
西洋医学、東洋医学(鍼灸指圧などの中国北方医学や
漢方薬などの中国南方医学)、
オステオパシーやカイロプラクティックなどの手技療法、
その他の頭蓋骨調整法、
十次式健康法(脊椎矯正法)、筋系態療法、
自身開発及び中国式気功法、
その他種々の民間療法や健康法、
全てに精通し理解し、一定のレベルで使えなければなりません。
私は手技療法と自然医療のスペシャリストでもありながら、
全ての医学分野のジェネラリストであろうと思います。
勿論私は西洋医学を否定する者ではありません。
”それだけでは足りない”と思っているのです。
そして何より、まず患者さんの訴えをちゃんとしっかり聞こうと思います。
患者さんはちゃんと、『答え』を言ってくれているものだからです。
西洋医学だけを振り回すと、
難しすぎる訴えを聞くと「そんなはずはない。」と否定してしまいがちです。
人間の体に起こっている千差万別の問題は、
一つの学問体系だけではとうてい説明でき解決出来る物ではありません。
西洋医学、東洋医学(鍼灸指圧などの中国北方医学や
漢方薬などの中国南方医学)、
オステオパシーやカイロプラクティックなどの手技療法、
その他の頭蓋骨調整法、
十次式健康法(脊椎矯正法)、筋系態療法、
自身開発及び中国式気功法、
その他種々の民間療法や健康法、
全てに精通し理解し、一定のレベルで使えなければなりません。
私は手技療法と自然医療のスペシャリストでもありながら、
全ての医学分野のジェネラリストであろうと思います。
2010年09月26日
第1話:走れるようになった脊随損傷患者
山下医師の診療カルテ
山下医院を開院して20年以上たちます。いろんな事が有りました。
思い出すままに、今まで山下医院であった患者さん達との人間模様と、
ふれあった人生達について綴ってみようと思います。
第一話:
まず思い浮かぶのは、やはり小脳と脊椎の損傷(外傷性)で来られた30代の女性の話です。
この患者さんは車いす(にも乗れない)状態で来院されましたが、最後には走れる様になりました。
この診療の記録(動画)は、一部ダイジェスト版で山下医院のホームページ(自然療法山下医院で検索して下さい)にも掲載されています。
どうして最初から最後までビデオ撮影していたかと言うと、高いところに上がっていたのを、
イタズラで転落させられたからです。つまり訴訟になると思っていたからです。
その患者さんは全身が硬直し、両足に装具をつけ、両手に杖を持ち、満足に座ることも出来ず、
もちろん寝ることも出来ませんでした。
しかも心まで病んでいました。
「どうせ私なんか、何をしても治らないんでしょう? どこのお医者さんもそう言うだけよ。
もう死んだって良いの。早くダメって言いなさいよ。」
私はこう言いました。 『Kさん、あなたは学校の先生でしょう。
じゃあ、テストでも何でも諦めたヤツが落ちるって知ってますよね?
僕らは、治りたい人のお手伝いしか出来ないんです。治りたくない人は治せません。
改めて聞きます。あなたは治りたくないのですか?本当は治りたいですよね?』
彼女はしばらく呆然として、そして答えました「...........はい。」
『じゃあ今日は帰ってよく考えて、明日また来て下さい。
明日もあなたがそう答えてくれたら、必ず治ります。治して上げますとも。』
彼女はそれから3年間、近くに宿をとって毎日受診してきました。
信じてくれた彼女とご両親の努力ももちろんありました。
なにしろ彼女は大阪在住ではなく、鹿児島県で小学校の教諭をしていたのですから。
左後頭骨(小脳)と第7胸椎部の脳脊髄損傷と診断し、
頭蓋骨調整と背骨の調整、脳脊髄液の流れの調整を根気よく続けました。
約1年半ほどたった頃、そろそろ肉体的損傷は治療できたと思ったので、
一度杖無しで立たせて見ました。「.........立てた!」
患者さんも私も看護婦さんも、涙を流して抱き合って喜びました。
しかしそこからが問題でした。「.........歩けない。」
パソコンや携帯など、電子機器を落としたら情報が全て飛ぶことが有りますが、
それと同じでした。 彼女の脳は衝撃で、体を動かす回路の情報が全て失われていました。
赤ちゃんに一つ一つ教えるように、
一つ一つの動きを教え込み、それを気功療法でインプットしなければなりませんでした。
さらにある種の”言葉”で焼き付けて行くのです。
”右足を前に” ”左足を前に””歩く” ”回る” ”座る” ”立つ” ”走る”
”寝る” ”起きる””つかむ” ”放す” ”傘をさす” ”傘を閉じる” ”握手する”
”ボールを持つ””ボールを投げる” ”ボールを受ける”
”お辞儀する” ”階段を昇る” ”階段を降りる”
”エスカレーターに乗る、降りる” ”自転車に乗る、こぐ、降りる” ”ペンを持つ、書く”
”本を開く、読む、閉じる” ”自動車に乗る、キーを回す、アクセルを踏む、ブレーキを踏む”
日常の動きには様々なことが有りました。
教えてない(インプットしてない)ことをしたとたんに、全身は硬直してしまうのです。大変でした。
もう僕よりも早く走れるようになった3年後の事でした。
「もう職場復帰しないと、規則で失職してしまうんです。」突然彼女が言い出しました。
あと1年続けて治療させてもらえたら、完全に元の体に戻せるのに。
私は彼女の勤める学校の校長先生と、鹿児島県の教育長を大阪に呼び、医師の立場から、
あと1年の休職を認めてくれるようにお願いしました。
しかしダメでした。それは日本の国家公務員の規則なのだそうです。
私は泣く泣く引き下がり、彼女は復職しました。
何とか仕事はこなせている様ですが、やはり1ヶ月に一度くらいは当院を受診して貰っています。
待合室から診察室に入るときは看護婦さんに抱えられてやっと入っていくのに、
数分後、自分で軽やかに歩いて出てくる彼女を見て、
待合室で待っている患者さんが目を丸くして驚くのが、
山下医院の風物詩の一つになっています。
山下医院を開院して20年以上たちます。いろんな事が有りました。
思い出すままに、今まで山下医院であった患者さん達との人間模様と、
ふれあった人生達について綴ってみようと思います。
第一話:
まず思い浮かぶのは、やはり小脳と脊椎の損傷(外傷性)で来られた30代の女性の話です。
この患者さんは車いす(にも乗れない)状態で来院されましたが、最後には走れる様になりました。
この診療の記録(動画)は、一部ダイジェスト版で山下医院のホームページ(自然療法山下医院で検索して下さい)にも掲載されています。
どうして最初から最後までビデオ撮影していたかと言うと、高いところに上がっていたのを、
イタズラで転落させられたからです。つまり訴訟になると思っていたからです。
その患者さんは全身が硬直し、両足に装具をつけ、両手に杖を持ち、満足に座ることも出来ず、
もちろん寝ることも出来ませんでした。
しかも心まで病んでいました。
「どうせ私なんか、何をしても治らないんでしょう? どこのお医者さんもそう言うだけよ。
もう死んだって良いの。早くダメって言いなさいよ。」
私はこう言いました。 『Kさん、あなたは学校の先生でしょう。
じゃあ、テストでも何でも諦めたヤツが落ちるって知ってますよね?
僕らは、治りたい人のお手伝いしか出来ないんです。治りたくない人は治せません。
改めて聞きます。あなたは治りたくないのですか?本当は治りたいですよね?』
彼女はしばらく呆然として、そして答えました「...........はい。」
『じゃあ今日は帰ってよく考えて、明日また来て下さい。
明日もあなたがそう答えてくれたら、必ず治ります。治して上げますとも。』
彼女はそれから3年間、近くに宿をとって毎日受診してきました。
信じてくれた彼女とご両親の努力ももちろんありました。
なにしろ彼女は大阪在住ではなく、鹿児島県で小学校の教諭をしていたのですから。
左後頭骨(小脳)と第7胸椎部の脳脊髄損傷と診断し、
頭蓋骨調整と背骨の調整、脳脊髄液の流れの調整を根気よく続けました。
約1年半ほどたった頃、そろそろ肉体的損傷は治療できたと思ったので、
一度杖無しで立たせて見ました。「.........立てた!」
患者さんも私も看護婦さんも、涙を流して抱き合って喜びました。
しかしそこからが問題でした。「.........歩けない。」
パソコンや携帯など、電子機器を落としたら情報が全て飛ぶことが有りますが、
それと同じでした。 彼女の脳は衝撃で、体を動かす回路の情報が全て失われていました。
赤ちゃんに一つ一つ教えるように、
一つ一つの動きを教え込み、それを気功療法でインプットしなければなりませんでした。
さらにある種の”言葉”で焼き付けて行くのです。
”右足を前に” ”左足を前に””歩く” ”回る” ”座る” ”立つ” ”走る”
”寝る” ”起きる””つかむ” ”放す” ”傘をさす” ”傘を閉じる” ”握手する”
”ボールを持つ””ボールを投げる” ”ボールを受ける”
”お辞儀する” ”階段を昇る” ”階段を降りる”
”エスカレーターに乗る、降りる” ”自転車に乗る、こぐ、降りる” ”ペンを持つ、書く”
”本を開く、読む、閉じる” ”自動車に乗る、キーを回す、アクセルを踏む、ブレーキを踏む”
日常の動きには様々なことが有りました。
教えてない(インプットしてない)ことをしたとたんに、全身は硬直してしまうのです。大変でした。
もう僕よりも早く走れるようになった3年後の事でした。
「もう職場復帰しないと、規則で失職してしまうんです。」突然彼女が言い出しました。
あと1年続けて治療させてもらえたら、完全に元の体に戻せるのに。
私は彼女の勤める学校の校長先生と、鹿児島県の教育長を大阪に呼び、医師の立場から、
あと1年の休職を認めてくれるようにお願いしました。
しかしダメでした。それは日本の国家公務員の規則なのだそうです。
私は泣く泣く引き下がり、彼女は復職しました。
何とか仕事はこなせている様ですが、やはり1ヶ月に一度くらいは当院を受診して貰っています。
待合室から診察室に入るときは看護婦さんに抱えられてやっと入っていくのに、
数分後、自分で軽やかに歩いて出てくる彼女を見て、
待合室で待っている患者さんが目を丸くして驚くのが、
山下医院の風物詩の一つになっています。
2010年03月02日
山下医院用
もし体の異変でお困りの方、健康関係でお悩みの方、
癌などの難病でお困りの方、自然医療で治したいとお思いの方、
セカンドオピニオンを必要とされる方、
生き方や心の悩みをお持ちの方、
私にお答えできることなら何でもお答えします。
一人で悩んでいないで、ご相談下さい。
公開での回答をお望みでない方は、
FAXで山下医院にメールアドレスを送って下さい。
後にメールで回答致します。
それから詳しくご相談されても構いません。
FAX:06-6645-7084です。
公開で構わない方は、このブログに直接ご相談下さい。
********************************* *****************************
山下 弘道 ***************************** *********************************
_________________________________________________________________
メール一括チェック!他の無料メールもプロバイダーメールも。
http://windows7.jp.msn.com/master/hm-popaggre/default.htm
癌などの難病でお困りの方、自然医療で治したいとお思いの方、
セカンドオピニオンを必要とされる方、
生き方や心の悩みをお持ちの方、
私にお答えできることなら何でもお答えします。
一人で悩んでいないで、ご相談下さい。
公開での回答をお望みでない方は、
FAXで山下医院にメールアドレスを送って下さい。
後にメールで回答致します。
それから詳しくご相談されても構いません。
FAX:06-6645-7084です。
公開で構わない方は、このブログに直接ご相談下さい。
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2008年05月29日
健康づくりのための商品
2008年05月29日
症状別Q&A
■整形外科関係
Q1:坐骨神経痛で腰から足にかけて痛みます。薬や注射やけん引をしましたが、治りません。
A1:薬や注射は、いずれも原因を取り除くものではありません。腰のけん引も、悪いところにポイントが絞れていないので、結局治りません。①仙骨の歪み、②第四~五番目の腰椎の歪みや滑り、③股関節(前方から後方へ)の亜脱臼、④梨状筋の緊張、を治せば坐骨神経痛は比較的楽になります。当院では一番簡単な患者さんと言えるでしょう。
Q2:腰痛で悩んでいますが、同じ方法で治るのでしょうか?
A2:腰痛は主に、体重を支えている骨盤の仙腸関節が壊れて、筋肉が無理にそれをカバーしようとして緊張して起こります。①骨盤と仙腸関節の歪みを治す、②腰部の筋肉のバランスを取る、という方法で安全に簡単に楽になります。
Q3:椎間板ヘルニアと診断され、手術をするしか方法は無いと言われているのですが、手術はできればしたくないのですが・・・・・・。
A3:今まで当院に来られて、手術になってしまった人は一人もいません。椎間板ヘルニアは脱出した椎間板軟骨を引っ込める特殊なテクニックがあり、今まで100人以上治療しましたが、真面目に通院された方は、全員楽になりました。
Q4:肩こりと首の痛みがひどいのですが・・・・・・。
A4:もちろん、①首や背中は治さなければいけませんが、②多くは鎖骨の下の腕神経叢という部分が圧迫されて狭くなっています。これを治す安全無痛なテクニックがあり、さらに③肩甲骨のズレ(内側下側へ引っ張られている)、を治したら肩は「アレッ!?」と思うくらい軽くなります。
Q6:五十肩がいつまでも治らなくて困っています。
A6:①肩関節が必ず前方へ亜脱臼しています。これをやさしく正しい位置へ戻してあげなければなりません。そして、②肩甲骨と鎖骨との関節(肩鎖関節)を関節法という特別な、非常にデリケートな力で治し、③肩甲骨の位置を正しい位置におさめると、ずっと早く楽になります。
Q13:膝が痛いのですが。
A13:操体法とオステオパシーを合わせた独自のテクニックで殆どの膝の痛みは楽になります。
Q14:手のしびれで悩んでいます。
A14:肩こりと首の痛みで説明した治療と第七頚椎、第一胸椎のローテーション(回転の歪み)を治すと、ほとんど楽になります。
Q15:頚椎椎間板ヘルニアと言われています。
A15:先述の手のしびれで説明した治療に加えて、特別なロール型の枕の上に数分間寝てもらい治療します。
■内科関係
Q5:胸の苦しみや痛みがあり、不整脈、狭心症や喘息のような症状があり、動くとすぐしんどくなります。
A5:①肋骨でどこかに必ず動きが制限されてロックしている所があります。そのロックを開放してあげて、②胸椎(背骨)のどこかで、後ろから前の方に入り込んで、胸を後ろから圧迫している所がある筈ですから、この前方胸椎を治してあげます。そしてもう一つ、③胃の上部が食道の張力に負けて、みぞおちから胸の方へ入り込んで、床の下から心臓を圧迫していますから、これを治します(食道裂孔ヘルニア)と、胸は完全に楽になります。
Q8:メニエル症候群と言われ、めまいがひどくて困っています。
A8:めまいは脳梗塞でも起きますが、たとえそうなった人でも、必ず側頭骨の歪みがあります。側頭骨の中に三半規管という体のバランスをとる器官があるのですが、左右どちらかの側頭骨をSOTという特別なテクニックを用いると、直後にめまいは改善します。また、小脳が原因で起こるめまいは、後頭骨を治療します。めまいの治療は私が最も得意としている治療のひとつです。
Q10:胃の痛み、食欲不振で悩んでいます。
A10:①多くの場合、第五胸椎に歪みがあります。②それを治してあげて、胃が食道の張力に負けて、胸部へ入り込んでいますから(裂孔ヘルニア)、それと腹腔神経叢を一緒に治療すると、多くの場合、もう次の日には治ってしまいます。それでも治らない場合は、胃の精密検査をするべきでしょう。また、胃潰瘍や胃癌を引き起こすヘリコバクターピロリの検査(採血による)もできます。
Q17:便秘、下痢で悩んでいます。
A17:便秘の人は、大腸と小腸の接合部の回盲部にある回盲弁というバルブが開きっ放しで、便がそこから先に行かない状態にあります。この弁を、必要な時に閉まるように治療(開回盲弁テクニック)してやると、便秘体質は改善されます。下痢の人はその反対です。
Q18:不眠症だが、睡眠薬を連用したくない。
A18:第四胸椎と胆の経絡、心の経絡を治療し、脳脊髄液循環の暴走を沈静してやると眠れるようになります。すぐキレる子供も同様です。それから昼間、できるだけ意欲的に生きることも必要です。睡眠薬および精神安定剤はおすすめしません。
Q19:高血圧なのですが、薬を飲まなければいけないのですか?
A19:いわゆる本態性高血圧症という現代医学で原因不明(これが高血圧の大部分)のもののうち、半分ほどはやがて薬は不要とさせる自信あがります。それは脳幹部にある血圧中枢の血流低下が原因そのもので、これを改善してあげれば良いのです。頚椎と頭蓋骨の調整、そして食事の改善で治療できます。
Q20:糖尿病ですが・・・・・・。
A20:経口糖尿病薬もインシュリン療法もコントロールであって、治療ではありません。中部胸椎の歪みを直し、胸部内臓治療を行います。
外科関係
Q12:痔で悩んでいます。
A12:もちろん全周性のものや脱肛のひどいもの、肛門周囲膿瘍や痔瘻などは手術をおすすめします。しかし、軽いものなら尾骨、仙骨、恥骨直腸靭帯を治すと、楽になります。
■その他
Q7:頭痛、目の疲れや痛み、緑内障、網膜黄斑部変性症、ドライアイで、悩んでいます。
A7:もちろん首の骨も治さなければなりませんが、オステオパシーなどの頭蓋骨調整法を使うことにより改善します。特に眼の問題は頭蓋顔面テクニックと蝶形上顎骨テクニックという特別のテクニックで、今まで治らないものと諦めていた病気が何人も治っています。
Q9:歯の噛み合わせが悪いと言われたのですが・・・・・・
A9:両方の顎関節をオステオパシーという治療法で簡単に治せます。そして上顎骨を蝶形上顎骨テクニック、頭蓋顔面テクニックで調整すると、噛み合わせの問題は改善します(全く痛くはありません)。
Q11:生理痛、生理不順で悩んでいます。
A11:多くの場合、恥骨結合に歪みがあります。これと、尾骨、仙骨、第三腰椎、鼠徑靭帯を治せば、かなり症状は改善します。
Q16:リウマチで治療法がなく困っています。
A16:リウマチは関節に症状が現れますが、当院では関節だけではなく、腸と関節の両方の治療を行っています。もちろん自然治療です。
Q21:更年期障害で悩んでいます。
A21:骨盤内のうっ血を治してあげて、上がってしまっている気を下まで下げてあげれば、のぼせやのどのつまり感や、その他の症状は改善できます。
Q22:子宮筋腫、卵巣嚢腫と言われていますが・・・・・・。
A22:当院では前記の更年期障害の治療と、尾骨の歪みの治療のあと、独自の気功法による治療を行います。
Q23:乳腺症、乳腺腫と診断されました。
A23:胸椎の歪みと肋骨のロックを開放してあげて、リンパマッサージでリンパの流れを改善して、独自の気功法を行えば、ほとんど小さくなります。しかし、何よりもまず、乳癌との鑑別を行わねばなりません。
Q24:頭がちょっと心配なんだけど・・・・・・。
A24:頭蓋圧縮リリーステクニックや脳室バルブテクニックなどの頭蓋骨調整で、記憶力や知能のアップをはかります。
Q25:うつ病を治したいが、あまり薬は飲みたくありません。
A25:前記の頭蓋骨調整に加え、冠状縫合テクニックという技術を使えば、かなり改善します。
Q26:癌を自然治療で治したい。
A:当院へは、癌の自然治療を求めて、年間何十人もの患者さんが来診されます。一部の例外を除き、その半数以上の方が、"5年"という時効を超えておられます。「癌の治療について」もご参照ください。
Q1:坐骨神経痛で腰から足にかけて痛みます。薬や注射やけん引をしましたが、治りません。
A1:薬や注射は、いずれも原因を取り除くものではありません。腰のけん引も、悪いところにポイントが絞れていないので、結局治りません。①仙骨の歪み、②第四~五番目の腰椎の歪みや滑り、③股関節(前方から後方へ)の亜脱臼、④梨状筋の緊張、を治せば坐骨神経痛は比較的楽になります。当院では一番簡単な患者さんと言えるでしょう。
Q2:腰痛で悩んでいますが、同じ方法で治るのでしょうか?
A2:腰痛は主に、体重を支えている骨盤の仙腸関節が壊れて、筋肉が無理にそれをカバーしようとして緊張して起こります。①骨盤と仙腸関節の歪みを治す、②腰部の筋肉のバランスを取る、という方法で安全に簡単に楽になります。
Q3:椎間板ヘルニアと診断され、手術をするしか方法は無いと言われているのですが、手術はできればしたくないのですが・・・・・・。
A3:今まで当院に来られて、手術になってしまった人は一人もいません。椎間板ヘルニアは脱出した椎間板軟骨を引っ込める特殊なテクニックがあり、今まで100人以上治療しましたが、真面目に通院された方は、全員楽になりました。
Q4:肩こりと首の痛みがひどいのですが・・・・・・。
A4:もちろん、①首や背中は治さなければいけませんが、②多くは鎖骨の下の腕神経叢という部分が圧迫されて狭くなっています。これを治す安全無痛なテクニックがあり、さらに③肩甲骨のズレ(内側下側へ引っ張られている)、を治したら肩は「アレッ!?」と思うくらい軽くなります。
Q6:五十肩がいつまでも治らなくて困っています。
A6:①肩関節が必ず前方へ亜脱臼しています。これをやさしく正しい位置へ戻してあげなければなりません。そして、②肩甲骨と鎖骨との関節(肩鎖関節)を関節法という特別な、非常にデリケートな力で治し、③肩甲骨の位置を正しい位置におさめると、ずっと早く楽になります。
Q13:膝が痛いのですが。
A13:操体法とオステオパシーを合わせた独自のテクニックで殆どの膝の痛みは楽になります。
Q14:手のしびれで悩んでいます。
A14:肩こりと首の痛みで説明した治療と第七頚椎、第一胸椎のローテーション(回転の歪み)を治すと、ほとんど楽になります。
Q15:頚椎椎間板ヘルニアと言われています。
A15:先述の手のしびれで説明した治療に加えて、特別なロール型の枕の上に数分間寝てもらい治療します。
■内科関係
Q5:胸の苦しみや痛みがあり、不整脈、狭心症や喘息のような症状があり、動くとすぐしんどくなります。
A5:①肋骨でどこかに必ず動きが制限されてロックしている所があります。そのロックを開放してあげて、②胸椎(背骨)のどこかで、後ろから前の方に入り込んで、胸を後ろから圧迫している所がある筈ですから、この前方胸椎を治してあげます。そしてもう一つ、③胃の上部が食道の張力に負けて、みぞおちから胸の方へ入り込んで、床の下から心臓を圧迫していますから、これを治します(食道裂孔ヘルニア)と、胸は完全に楽になります。
Q8:メニエル症候群と言われ、めまいがひどくて困っています。
A8:めまいは脳梗塞でも起きますが、たとえそうなった人でも、必ず側頭骨の歪みがあります。側頭骨の中に三半規管という体のバランスをとる器官があるのですが、左右どちらかの側頭骨をSOTという特別なテクニックを用いると、直後にめまいは改善します。また、小脳が原因で起こるめまいは、後頭骨を治療します。めまいの治療は私が最も得意としている治療のひとつです。
Q10:胃の痛み、食欲不振で悩んでいます。
A10:①多くの場合、第五胸椎に歪みがあります。②それを治してあげて、胃が食道の張力に負けて、胸部へ入り込んでいますから(裂孔ヘルニア)、それと腹腔神経叢を一緒に治療すると、多くの場合、もう次の日には治ってしまいます。それでも治らない場合は、胃の精密検査をするべきでしょう。また、胃潰瘍や胃癌を引き起こすヘリコバクターピロリの検査(採血による)もできます。
Q17:便秘、下痢で悩んでいます。
A17:便秘の人は、大腸と小腸の接合部の回盲部にある回盲弁というバルブが開きっ放しで、便がそこから先に行かない状態にあります。この弁を、必要な時に閉まるように治療(開回盲弁テクニック)してやると、便秘体質は改善されます。下痢の人はその反対です。
Q18:不眠症だが、睡眠薬を連用したくない。
A18:第四胸椎と胆の経絡、心の経絡を治療し、脳脊髄液循環の暴走を沈静してやると眠れるようになります。すぐキレる子供も同様です。それから昼間、できるだけ意欲的に生きることも必要です。睡眠薬および精神安定剤はおすすめしません。
Q19:高血圧なのですが、薬を飲まなければいけないのですか?
A19:いわゆる本態性高血圧症という現代医学で原因不明(これが高血圧の大部分)のもののうち、半分ほどはやがて薬は不要とさせる自信あがります。それは脳幹部にある血圧中枢の血流低下が原因そのもので、これを改善してあげれば良いのです。頚椎と頭蓋骨の調整、そして食事の改善で治療できます。
Q20:糖尿病ですが・・・・・・。
A20:経口糖尿病薬もインシュリン療法もコントロールであって、治療ではありません。中部胸椎の歪みを直し、胸部内臓治療を行います。
外科関係
Q12:痔で悩んでいます。
A12:もちろん全周性のものや脱肛のひどいもの、肛門周囲膿瘍や痔瘻などは手術をおすすめします。しかし、軽いものなら尾骨、仙骨、恥骨直腸靭帯を治すと、楽になります。
■その他
Q7:頭痛、目の疲れや痛み、緑内障、網膜黄斑部変性症、ドライアイで、悩んでいます。
A7:もちろん首の骨も治さなければなりませんが、オステオパシーなどの頭蓋骨調整法を使うことにより改善します。特に眼の問題は頭蓋顔面テクニックと蝶形上顎骨テクニックという特別のテクニックで、今まで治らないものと諦めていた病気が何人も治っています。
Q9:歯の噛み合わせが悪いと言われたのですが・・・・・・
A9:両方の顎関節をオステオパシーという治療法で簡単に治せます。そして上顎骨を蝶形上顎骨テクニック、頭蓋顔面テクニックで調整すると、噛み合わせの問題は改善します(全く痛くはありません)。
Q11:生理痛、生理不順で悩んでいます。
A11:多くの場合、恥骨結合に歪みがあります。これと、尾骨、仙骨、第三腰椎、鼠徑靭帯を治せば、かなり症状は改善します。
Q16:リウマチで治療法がなく困っています。
A16:リウマチは関節に症状が現れますが、当院では関節だけではなく、腸と関節の両方の治療を行っています。もちろん自然治療です。
Q21:更年期障害で悩んでいます。
A21:骨盤内のうっ血を治してあげて、上がってしまっている気を下まで下げてあげれば、のぼせやのどのつまり感や、その他の症状は改善できます。
Q22:子宮筋腫、卵巣嚢腫と言われていますが・・・・・・。
A22:当院では前記の更年期障害の治療と、尾骨の歪みの治療のあと、独自の気功法による治療を行います。
Q23:乳腺症、乳腺腫と診断されました。
A23:胸椎の歪みと肋骨のロックを開放してあげて、リンパマッサージでリンパの流れを改善して、独自の気功法を行えば、ほとんど小さくなります。しかし、何よりもまず、乳癌との鑑別を行わねばなりません。
Q24:頭がちょっと心配なんだけど・・・・・・。
A24:頭蓋圧縮リリーステクニックや脳室バルブテクニックなどの頭蓋骨調整で、記憶力や知能のアップをはかります。
Q25:うつ病を治したいが、あまり薬は飲みたくありません。
A25:前記の頭蓋骨調整に加え、冠状縫合テクニックという技術を使えば、かなり改善します。
Q26:癌を自然治療で治したい。
A:当院へは、癌の自然治療を求めて、年間何十人もの患者さんが来診されます。一部の例外を除き、その半数以上の方が、"5年"という時効を超えておられます。「癌の治療について」もご参照ください。











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